ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第3回 吉村智樹(ライター / 放送作家)後編

ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第3回 吉村智樹(ライター / 放送作家)前編
ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第3回 吉村智樹(ライター / 放送作家)中編

第3回目のゲストは、ライターで関西のテレビ番組では放送作家としても活躍中の吉村智樹さん。「街歩き」「食べ歩き」「路上観察」などを得意ジャンルとし、大阪に溢れる面白看板などを収集した『VOWやねん!』『VOWでんがな』『VOWやもん!』(関西版VOW三部作 宝島社)で知られる。放送作家としては明石家さんま司会の『痛快!明石家電視台』(毎日放送)や、『たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜』(テレビ大阪)など関西発の情報番組、バラエティ番組の構成に長く携わる。著書には他に『吉村智樹の街がいさがし』(オークラ出版)、『恐怖電視台 本当にあった業界の怖い話 芸能界編』(竹書房)、『ビックリ仰天!食べ歩きの旅 西日本編』(鹿砦社)など。現在は『LIFE〜夢のカタチ〜』(朝日放送テレビ)や『京都浪漫〜美と伝統を訪ねる〜』(KBS京都)等のテレビ番組の構成に関わりながら、NTTのニュースサイト「いまトピ」、リクルート・ホットペッパーの「メシ通」、まぐまぐの旅行ニュースサイト「TRiP EDiTOR(トリップエディター)」他、ウェブ媒体のライティングに意欲的に取り組んでいる。

独自かつ唯一無比な関西サブカルチャーの中で、青春を過ごすということ

中編にて、関西という土地の持つ本物志向と書いた。これは単に「笑い」だけに留まらない。サブカルチャー、ユースカルチャー(若者文化)全般に言えることだと思う。そこに住む人、演者と観客、発信する人と受け取る人たち誰もが持ち共有する、エンターテインメントに対する貪欲さである。
極めて個人的な印象であり想い出かもしれないが、1958年生まれの僕が中学生になった時、大阪天王寺野外音楽堂にて、イベントプロデューサー福岡風太による『春一番コンサート』が始まる。ミュージシャンだけでなく、発起人やスタッフとして詩人の片桐ユズルや版画家・イラストレーターの森英二郎、写真家の糸川燿史にデザイナーの日下潤一、まだ自主映画を撮っていた頃の井筒和幸らも参加していた。高校生の頃には「関西ブルースパワー」と呼ばれた上田正樹とサウストゥサウスや、ウエスト・ロード・ブルース・バンドが登場。これには京都の磔磔、拾得、大阪のバーボンハウスといった独自のライブハウス文化が無縁ではなかったはずだ。

ほぼ同時に神戸出身の大森一樹が京都府立医科大に入り、自主映画の名作『暗くなるまで待てない!』(1975年)を撮り、1978年には松竹の『オレンジロード急行』で商業映画デビュー。『ヒポクラテスたち』(1980年)、『風の歌を聴け』(1981年)と次々傑作を発表していく。『風の歌を聴け』の原作者は言うまでもなく神戸出身の村上春樹であり、『暗くなるまで待てない!』には大森の盟友・村上知彦が共同脚本、俳優として参加していた。
村上知彦は関西学院大学卒業後、いしいひさいちらによる漫画同人グループ「チャンネルゼロ工房」を母体にした編集プロダクション「チャンネルゼロ」の設立に参加。ひさうちみちお、川崎ゆきおらの単行本を手がける。いしいひさいちが「チャンネルゼロ工房」発行の自費出版単行本『Oh!バイトくん』で脚光を浴び、1977年にプレイガイドジャーナル社から初の単行本『バイトくん』を上梓。『がんばれ!!タブチくん!!』(双葉社)として単行本化される「くるくるパーティー」の連載も『漫画アクション』で始まり、その名が全国区になっていくのは周知の通り。また村上知彦は1981年より『プレイガイドジャーナル』の5代目編集長となる。

そして1980年代の後半になり、中島らもが登場する。コピーライターであり放送作家であり劇作家で劇団主宰者であり、小説家でありエッセイストでありながらテレビタレント的な動きもしつつ、バンド「PISS」や「らも&MOTHER'S BOYS」を率いるミュージャンでもあった中島らもは、今思えばまさに関西の複合的(ゴッタ煮的?)サブカルチャー、そのすべてを内包した人物だった。中島の著書の多くは「プレイガイドジャーナル」のアートディレクションや「春一番コンサート」のポスターデザインを手がけた日下潤一の装丁によってなされ、常に写植技術者の前田成明の名と共にクレジットされていた。その端正で理知的なブックデザインを手にする度、僕は東京では決して味わえない、幅が広く懐の深い関西カルチャーに想いを馳せた。

そんな文化の流れを、まさに地元で直撃されながら青春時代を過ごした吉村さんに、今回ぜひ聞いてみたかった。独自かつ唯一無比な関西サブカルチャーの中で、若者たちはどのような影響を受けたのだろうのか?
「やはり中島らもという存在は、不世出の人という感じがします。らもさん以前、らもさん以後と言ったらいいんでしょうか、あれから中島らものように、若者に強い影響力を与えるクリエイターというのは、大阪からはひとりも出できてないと思います。らもさんの少し後に──というほぼ同時期と言っていいと思いますが──竹内義和さんが登場します。僕は竹内さんのすごいファンやし、竹内さんに影響を受けた人も多いとは思うけれど、らもさんには人を惹きつけるとてつもない磁場があった。あんな人はやはりもう二度と現れないんじゃないでしょうか」

中島らもが文学ならウィリアム・S・バロウズやヘンリー・ミラー、セリーヌやロートレアモン、音楽ならブライアン・ジョーンズがいた頃のローリング・ストーンズや村八分と、1960年代のドラッグカルチャーやデカダンス、シュルレアリスム的であったのに比べ、1986年の初期作『大映テレビの研究 不滅のテレビジャンキー』(大阪書籍)に代表されるように、竹内義和は昭和的であり現在まで連綿と続く「オタク文化」始祖のひとりとも言える。そう考えると中島らもがアルコールというドラッグで命を落とした(酩酊状態で転落、脳挫傷による外傷性脳内血腫)のは何とも象徴的だ。
念のため書いておくが、酒は立派な、そしてかなり危険な部類に入るドラッグである。死後出版された追悼集『中島らも(文藝別冊/KAWADE夢ムック)』(河出書房新社)の中で、吉村智樹は誰よりも強い悲しみと怒りを込めて、「もう誰も酒を飲むな」という一文を寄せている。

吉村さんは言う。
「今、関西のサブカルチャーについて語るのはとても難しいです。というのは、そうやって70年代から90年代くらいまで続いた往時の文化が〈完全に現在の関西では分断され、伝承されていない〉からです。もちろん、関西サブカルチャーは現在もれっきとして存在してますが、これは先人たちとまったく無関係に生まれたムーブメントです。僕はそれがとてもいいことやと思ってますけど、分断されたことは確かで、そこには、中島らもという人が死んでしまったということがとても大きい」

吉村さんは『中島らも(文藝別冊/KAWADE夢ムック)』所収「もう誰も酒を飲むな」の中で、中島らもさんが亡くなったという「文化的損害の大きさ」がいかほどのものか? ということを書かれてますね。
「ええ。とういうのは、らもさんが作り出してきた文化的外周というものがムチャクチャで大きかったんです。俳優さん、文化人、コピーライター、映像クリエイター、ありとあらゆるジャンルの人を数多く圧倒的に巻き込んで、中島らもを中心としたムーブメントを形成していた。でもその核がなくなってしまったら、霧散してしまった。もう誰も、誰とも繋がっていない状態になって、テレビ的にも演劇的にも音楽の分野でも、そのままシーンがなくなった。だから若い人たちは憧れもしないし、影響も受けない。そもそもそういう時代があったことを知らないかもしれない」

「例えばあの頃の関西には、小演劇ブームというのがあったんですね。古田新太さんを中心にした『劇団☆新感線』、辰巳琢郎さんや生瀬勝久さんたちの『劇団そとばこまち』、内藤裕敬さんの『南河内万歳一座』、立原啓裕さんや升毅さんのいた『売名行為』。そして『笑殺軍団リリパットアーミー』、それぞれの人気が相乗効果となって、客演したり本業が役者でない人が舞台に立ったり、それで大きなうねりを作り出していた。桂吉朝さんや牧野エミさん、石田長生さんと、亡くなられた方もおられるけれど、『劇団☆新感線』なんかは今の方が全然すごい人気やし、キッチュ(松尾貴史)さんや山内圭哉さん、羽野晶紀さんみたいに東京へ行って大活躍してる人もいる。関西に残っている人は残っている人で、それぞれの場所は見つけているけれど、でも、何らかのシーンを担っているわけではない。逆に言えば皆さんそれぞれに成功されて、一緒に何かを作り出す必要がなくなったということなんでしょうが」

今、インターネットのテキストライティングが大きく変わろうとしている

「だからこそ今、関西でまったく新しい文化が生まれているのかもしれない。これは本当に僕、すごいことやなあと感じてます。特にウェブライターの世界というのは日進月歩で、常に書き方が更新されている。僕はこれがとても刺激的でいいなあと思ってるんですよね」

そこで冒頭にも記したが、吉村さんは現在、NTTのニュースサイト「いまトピ」、リクルート・ホットペッパーの「メシ通」、まぐまぐの旅行ニュースサイト「TRiP EDiTOR(トリップエディター)」等々、ウェブ媒体のライティングに意欲的に取り組んでいる。
「かつてインターネットのテキストライティングって、『ネットなんて長いのは誰も読まへんから、800字くらいにしろ』というのが定説でしたよね。ところが最近は読む人の、サイト内での滞在時間を長くしないといけない。そうしないとユーザーは様々に貼ってある広告へ飛ばない、SEO対策にならない。だからソコソコの文字数が必要やということになって、3,000字~5,000字を推奨するようになった。ずっと雑誌の仕事をやっていて、あの頃にもしもコラムに3,000字の文字数があったらどれだけ自分の書きたいことを表現出来たか? 何度泣く泣く削らなアカンかったか(笑)。それが今は最低でも3,000字書かせてもらえる、これは幸せなことです。『その代わり読者に3,000字完読させてくださいね』『面白く書いてね』と言われる、やりがいがありますよね」

「さっきも言いましたけど、僕が大阪に戻った2006年前後というのは、今思うとライターにとって本当にドン底の時代やったんですね。雑誌は壊滅的に減って、かと言ってまだオウンドメディアが立ち上がってるわけでもない。尚かつ当時のクラウドソーシングは、一文字1円とか0.5円とかで仕事を発注していた。どういう人が書いてたかは知りませんけど、ありえへんパクリ記事がヤマほどネットに蔓延して、もう無法地帯のような。『水晶の玉を膣内に入れたら月の光が宿って癌が治る』とか(笑)。でも、数年前までは当たり前にそんな記事が存在したんですよね」

しかしそこでひとつの事件が起きる。株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)が運営していた医療キュレーションサービス〈Welq〉に、医学的根拠が不確かな情報や、著作権上の問題がある記事が多数含まれているという批判が殺到。サイトの休止を余儀なくされる。吉村さんの言う、「水晶の玉~」のような記事である。

「小遣い稼ぎをしたいような人たちがコピペでムチャクチャな記事を大量生産してる一方で、ちゃんとした文章の書けるライターにはまったく仕事がなかった。あの頃、仕方なく廃業したライターも多かったんやないでしょうか。でも、〈Welq〉の一件があって、どのサイトも他所からパクッてきたら酷い目に遭うということが分かった。以来、『ちゃんと取材して、一次情報を書いてください』という流れになった。そこで思ったんです。それってまさにオレが好きなことやん! と。『テレビランド』の〈ちびっこ記者〉時代、近所で自動車事故が起きると飛んでいって取材した、あれと一緒やないかと(笑)。だから僕は今、ウェブライティングの仕事が一番楽しいんです。まさにライターの原点に戻れたような、そんな気がしてます」

もうひとつ、吉村さんの指摘する最近のウェブメディア、そしてウェブライティングの面白さについて。
「これがね、意外やったのは、インターネットだから日本全国の人が読めるから、全国の人向けに、まんべんなく誰もが分かる記事でバズらなければならない(バズる〈Buzzる〉=記事がインターネット上で爆発的に読まれる、アクセスされる、リツイートやシェアがされる)と、ちょっと前までは思われてたんですよね。ところが実は逆で、例えば東京なら、僕らは今渋谷(「Z TOKYO」の編集部)にいますけど、井の頭線でひとつめの神泉駅、『神泉』の情報誌なんて、出版では絶対に考えられないですよね。ところがネットだとあり得るんですよ、そこの情報を知りたい人が爆発的にアクセスするから。逆に全国的に変にまんべんなく平均化して、けれど誰の心にも引っかからない記事よりも、むしろピンポイントで需要が集中する。大阪には今『枚方つーしん』という、枚方市だけに極端に特化したメディアがあるんですけど、これがスゴイんです。ものすごく盛り上がっている」

なるほど。僕は2012年から2013年にかけて、『東京ウォーカー(Tokyo Walker)』(KADOKAWA)の関連ムックで、「ディープな地元ネタを1冊に凝縮!」というキャッチコピーの付いた、『武蔵小金井Walker』や『蒲田Walker』という情報誌に書かせてもらったことがある。当時はなんてピンポイントなご当地メディアなのだろうと驚いたものだが、あれから5年、世の中のスピードはさらに最速化し、ネット上には数々の地域情報サイト、地域メディアが生まれている。おそらく街や近所の情報は、雑誌ではもう遅いのだ。

「そう思います。雑誌だと、例えばお店に関するものだと、どんなに早くてもオープンしてからの情報なんです。ところがどのネットの地域メディアでも〈現在建設中!〉という記事がめっちゃ多い。工事中の写真とかがアップされて、『いったいどんなお店が開店するんだろう?』とアクセスが集中する。さらにネットタウン誌のすごいのは、〈倒産情報・閉店情報〉ですね。『あの店、潰れました』と載ると、『えーっ、そうなんですか、長年通ってたのに残念です!』と共感のコメントが殺到する。『枚方つーしん』のスタッフは、社員で8人くらいいるそうです。関わっている8人の大人が食べていける、地元枚方市のことで。これは革命的なことやと思いますね」

「そして『枚方つーしん』もそうなんですが、そういう地域メディアは大抵〈コワーキングスペース(coworking space)〉を開いて運営するんですよね。すると地元のライターやクリエイターが集まる。一緒に仕事が出来るし情報交換も出来て、文化が生まれていく。それは関西に限らず、全国各地方都市で起きている。書籍とか、雑誌に原稿を書くとかは、やっぱり東京でないと出来ない部分もあるかもしれない。でもそれにさえこだわらなかったら、その街の人が地元について書くことが出来る。もっと言えば〈コワーキングスペース〉は今全国各地にどんどん生まれてますから、ネットカフェなんかと違って打ち合せやインタビューも出来るし、こうなるとライターはノートパソコン1台あったらどこでも仕事が出来る。地方を渡り歩きながら取材や原稿書きがやれるんですね」

関西ライターズリビングルーム~ベテランライターが20代の若い人たちと同じ土俵で戦うということ

かつてインターネットというものが雑誌を駆逐し、同時に安すぎる原稿料のクラウドソーシングが職業ライターを苦しめた。しかしこれからはネットメディアが新たな可能性を開くかもしれない。そんな状況を背景として、吉村さんは〈関西ライターズリビングルーム〉というイベントを月に1回開催している。これは毎回関西を中心に第一線で活躍しているライターをゲストに招き、吉村さんが「文章で生きる仕事術」を訊く公開インタビューである。ライター志望の人が「どうすればプロのライターになれるのか」を学ぶ機会に。さらにはデザイナー、フォトグラファー、イラストレーター、編集者など様々なジャンルのクリエイターが集まり、マッチングの場になればという期待もあるそうだ。

「ライター講座、ライター教室みたいなものは関西ではちょっと前までよくあって、でもほとんどが詐欺みたいな、詐欺は言い過ぎかもしれないけど、単純に料金が高過ぎるものばかりだったんです。しかも講師は完全に引退してる、『えっ、アナタ、誰?』みたいな人で、経歴を見ると『TOKYO★1週間』(講談社・2010年休刊)のライターとして活躍中とか書いてある。活躍中って、いつ潰れた雑誌やねん(笑)。しかも下手したら1時間4千円とか取ってやってた。当然そんな講座を聞いても、誰もライターになんかなれないんですよね。そこで僕が思ったのは、引退したようなライターじゃなく、本当に一線で活躍してる人の話が聞きたい。しかもそういう人に限って、講師なんて一度もやったことはないと言うんです」

吉村さんは2011年に花房観音さんと結婚し、彼女がこよなく愛する京都に暮らすようになった。そこで感じることがあったという。
「京都の伝統工芸って、どんどん廃れていってるんですね。なぜかというと、職人さんたちって伝えないんですよ、次世代に。よく『見て覚えろ』っていうけど、見て覚えられることなんて限界があるし、『見て覚えろ』なんて言う時間があるんなら、ちょっとだけでも教えてくれや、そうしたら伝わるのに(笑)。でも、そう言えばライターも同じやなと。個人営業のせいか先輩が後輩に手取り足取り教えるなんてことはない。ただ、『私が講師をやるなんておこがましい』とおっしゃる人もいる。だったら僕がインタビュアーになりますから、色々お尋ねしますから答えてくださいという方式になったんです」
「まずはものすごく基本的なことでもいいんです。『取材先への交渉はどうやってますか?』『パソコンは何を使って、ワープロソフトは、テキストエディタは何で書いてますか』『ICレコーダーは何で、インタビュー起こしはどうやってますか』『〆切守るには何を心懸けたらいいでしょう?』とか。全部単純なことやけど、意外に皆、同業者がどうやってるか知らない。こういうことはこれからライターを目指す人、ブロガーの人、既にプロで活躍してる人にも絶対に有益な情報だと思うんですよね」

直接的なきっかけは竹内義和氏だった。竹内氏は「株式会社アワーズ」という企画・制作及びタレント・クリエイター等のマネジメントをする会社を持ち、さらに「アワーズルーム」というトークライブスペースを経営。ご自身がほぼ毎日(!)トークイベントを開催しているという。
「スゴイでしょう? 毎日って、よくネタが尽きへんなと。僕は竹内さんの大ファンですから、ある日聞いたんですよ。『ライターとしてのノウハウとかのお話をされたことあるんですか?』と。そうしたら、『ないよ。だってライターとしての話を聞かせてくれなんて誰にも言われたことないから』って。竹内さんって〈アワーズルーム〉以前から、長年むちゃくちゃトークイベントをやられてるんですよ。そんな人、しかも稀代の名ライターが、ライターとしてやっていく方法を一度も聞かれたことがない! そんなの盲点過ぎるやろと(笑)。それで第1回のゲストを竹内さんにお願いしてスタートしたんです」

そうやって始まった〈関西ライターズリビングルーム〉は、もう2周年を迎えるという。場所は地下鉄堺筋線「北浜」駅近くの喫茶店「サロン喫茶・フレイムハウス」。入場料は1,000円+ワンオーダー。吉村さんが取材でお世話になったことから、会場に使わせて欲しいとお願いした。特にハヤシライスが美味しくてオススメとのこと。定員は20名だが、毎回チケットは1週間ほどで完売となる人気イベントだ。
「竹内さんみたいな大ベテランだけじゃなく、若い方にも出てもらってます。というのはたとえ20代の人でも、ウェブライターとしては皆さん僕より先輩なんです。だからそういう人を呼んで、どうやったらバズれるようになるのか? 僕がそのノウハウを盗みたいと(笑)。かつてネットのライティングは若い人ばかりで、クライアントさんも僕ら年寄りのことは敬遠する部分もあった。感覚は古いし、フットワークも悪いんじゃないかと。でもさっき言ったようにネット記事でも『読ませる』ことに重点が置かれていくと、『うん、やっぱり紙の媒体で書いてたライターの方が実力はあるんじゃないか』、そう思われて来たんじゃないでしょうか。僕だけじゃなく、ネットで活躍する中年以上のライターは今多いです。僕は50歳過ぎて20代のライターさんと同じ土俵で戦える、これはすごく幸せなことやなあと思うんですね」

最後に奥さまの花房観音さんと、ご夫婦で<「書く」ことを職業にしている>ことについて聞いてみた。かつて生島治郎・小泉喜美子夫妻は「ひとつ屋根の下に二人の物書きは要らない」と言って離婚したというが──。
「それがウチの場合、絶妙でしてね」と吉村さんは笑う。
「妻は小説家、僕はライター、同じ『書く』商売ではまったく違う。ただし、やはり『書く』という共通点ではお互いを理解し合えるんです。例えば二人で家にいて、妻がこう、肘を付いてごろんと、ぼんやりしてることがある。すると僕は、ああ、彼女は今頭の中で小説のことを考えている、一生懸命仕事してるんやなあと分かるわけです。これ、一般家庭だとマズイと思いますよ。旦那がサラリーマンで奥さんが専業主婦だったりしたら、『お前、家事もせんと何ゴロゴロしてんねん』と夫婦喧嘩になるかもしれない。でも我が家の場合、妻の仕事はそれやし、もっと言えば一見ぼんやりしてるように見える時、大ベストセラー小説を構想したりして、ムチャクチャ稼いでくれてるのかもしれない(笑)」

そしてもうひとつ。中編でも書いたが、先日吉村さんはサイト『SUUMOタウン』に〈人生のやりなおしをさせてくれた街、大阪「四天王寺」〉という記事を書いた。かつて東京で夢破れ大阪で再出発する際、(お寺の)四天王寺に「仕事がたくさんもらえますように。そして、彼女ができますように」と願をかけたという。そして望み通り職を得て、花房さんと出会い結婚もした。そこで<四天王寺さん、ありがとうございました。おかげで、なんとかやりなおすことができました。素敵な女性とも巡りあい、再婚まで果たしました。ここで暮らした3年間を、僕は一生、忘れることはないでしょう。>と記事は結ばれている。
ところが、その記事がアップされた途端、約10年間にわたりなりをひそめていた、あのぎっくり腰が突如再発したという。
「それが本当にひどくて、4日くらい立ち上がれなかった。きっと四天王寺さんが、お前何調子に乗ってンねん、ライターとして成功したとでも思てんのかと、ガツンと一撃してくれはったんやないですか。だからまだまだウェブライティングの世界で、若い人と競って頑張らないといけないですね」
そう言って吉村智樹さんは、1泊2日の東京滞在のため、重いカメラ機材を入れた大きなキャリーバッグを転がして、渋谷の街へと歩き去っていった。

そして翌日、吉村さんのツイッターには以下のようなツイートがなされた。
<きのう東京から戻ってきまして、このたびの上京は自分のなかでひじょうに大きな転機となるものでした。ライターとしてやっていく覚悟が固まりました。なのでプロフィールから「放送作家」をはずします。あ、放送作家を辞めるわけではありません。『LIFE 夢のカタチ』をよろしくお願いします。>


写真=川上 尚見
取材・文=東良 美季

#CULTURE

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