ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第7回 和田靜香(音楽/相撲ライター)前編

WEBマガジンにおいて最も重要と言える「文章」を生み出すライター。彼らが書いた文章は我々の目に触れ心を動かすが、そのプロセスを知る機会は少ない。しかし、彼らにもそれぞれの人生があり、数多の夢や挫折を経て培われたプロフェッショナリズムが存在する。
そこで、ライターによるライターへのインタビューを敢行。インタビュアーは東良美季氏。AV監督、音楽PVディレクター、グラフィック・デザイナーなど様々な職を経験した彼が引き出すライターたちの魅力に触れてもらいたい。



第7回のゲストは、音楽ライターの和田靜香さんです。19歳のとき『ミュージック・ライフ』(シンコー・ミュージック)でデビュー以来、『ミュージック・マガジン』(ミュージックマガジン社)他、音楽雑誌を中心に執筆。近年は相撲ライターとしても活躍。著書には『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』『東京ロック・バー物語』(以上、シンコー・ミュージック)、『おでんの汁にウツを沈めて 44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『ワガママな病人VSつかえない医者』(文春文庫PLUS)。20歳から6年間師事した音楽評論家・湯川れい子さんの半生を描いた『評伝★湯川れい子 音楽に恋をして♪』(朝日新聞出版)、他。インターネットサイトでは、「週刊女性・PRIME」にて「和田靜香 スー女のミカタ」を連載中。

和田靜香さんとは、当連載第1回のゲスト・北尾トロさん編集長の『季刊レポ』で出会った

2018年10月5日、秋とはいえ暖かい午後。いつものように〈Z TOKYO〉編集部の会議室をスタジオ代わりにして、音楽/相撲ライター(と名刺に入っている)和田靜香さんの写真を撮った。長身でいつもお洒落なカメラマンの川上尚見さんはその日、背中に“The Sound of Young America”というロゴの入ったTシャツを着ていた。背後にいた僕がその文字を口に出して読み、「カッコイイね、このTシャツ」と言うと、さすがは音楽ライター、和田さんはシャッター音を浴びながら「おっ、モータウンですね」と反応する。

「モータウン」とはアメリカのデトロイト発祥のレコード・レーベル。ベリー・ゴーディ・ジュニアという人物によって立ち上げられた。当初は地方のマイナー・レコード会社に過ぎなかったが、1960年にスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズが歌った「Shop Around」が全米チャート第2位のミリオン・セラーになったことを皮切りに、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、フォー・トップス、ジャクソン5といった、新時代のソウル・ミュージック・スターを次々生み出していく。ベリー・ゴーディはアフリカ系アメリカ人だったが、「黒人向けのR&Bではなく、白人層にも自分たちの音楽の良さを理解して欲しい」という思いから、「The Sound of Young America(新しい時代のアメリカの音楽)」をスローガンにした。

ソウル・ミュージック・ファンの川上さんは、写真を撮りながら「中学の時だったかなあ、ラジオを聴いてたらすごくいい曲が流れて来て、DJの人が“アレサ・フランクリン”って言ったから、それをメモしてレコード屋さんに行ったんだよ」と言う。「でも僕は関西の出身だからさ、街の小さなレコード店にはアレサ・フランクリンのレコードなんて置いてないんだな。それで取り寄せてもらってジャケットを見てビックリした! そうか、黒人の女性だったのかって、そこで初めて分かったんだ」。「そうそう。昔はラジオで、黒人だとか白人だとか関係なく、いいものはいいって思って聴いてましたよね」と和田さん。

そこからアレサ・フランクリンの1967年のヒット曲「ナチュラル・ウーマン」の話になった。この曲はキャロル・キングが、当時のご主人ジェリー・ゴフィンの作詞で作ったものだ。「私、昔、キャロル・キングのベスト盤のライナーノーツを書かせてもらったことがあるんですよ」と和田さん。「そうしたらレコード会社の人から、ライナーはキャロル・キング本人のOKが出なきゃ載せられないので、本国に送りますって言われてビビリました」と笑う。

川上さんは僕よりちょっと歳上のほぼ同世代。和田さんは僕より7つ歳下。年齢も好きな音楽のジャンルも微妙に違うのだが、こういう話をするのはやはり楽しい。

楽しいと言えば、僕ら音楽ファンというものは、もちろん音楽を聴くのはもちろん喜びなのだが、音楽について書かれたものを読むのも、また楽しみのひとつだと思う。長年、音楽ライターとして活動されて来た和田靜香さんに、ぜひこの連載にご登場願いたかった。

僕が和田さんと初めて会ったのは2013年の初春。当連載第1回のゲスト・北尾トロさんの、西荻窪にあった事務所「ランブリン」だった。当時トロさんが編集長を務めていたインディーズ・マガジン『季刊レポ』は、最新号が刷り上がると執筆者が集まって自分たちで発送作業をするのが習わしだった。出来たてホヤホヤ、インクの匂いのする『季刊レポ』を封筒に入れ、定期購読者の方の住所ラベルを一冊一冊貼っていくのだ。

トロさんを初め「ヒラカツ副編集長」こと平野勝敏さん、編集スタッフの木村カナちゃん、執筆者はコラムニストのえのきどちろうさんに、トロさんの20代からの盟友・下関マグロさん、トロさんとマグロさんが結成した「街中華探検隊」のメンバーでもある雑誌『薔薇族』編集長の竜超さん、などなど。インディーズ・マガジンとは言え、部数はソコソコの量になるので作業はそれなりに大変だ。しかしカナちゃんや和田さんたち女性陣がそれぞれ好きなお菓子を買って来てくれるので、それを食べ、お茶や珈琲を飲みつつ、雑談しながら袋詰めするのはとても楽しかった。

僕が『季刊レポ』に関わったのはその年の「11号」からだが、和田さんは2010年創刊号からの執筆メンバーである。先に書いたように、僕は音楽雑誌を読むのも好きで、特に1990年代は、中村とうようさん創刊による『ミュージック・マガジン』を熱心に読んでいた。だから「和田靜香」という名前は前々から存じ上げていて、「ランブリン」で初めてお見かけし、「そうか、この人があの和田靜香さんなのか」と思った。

その『季刊レポ』創刊号で、和田さんは「チーム・マダム〜最強コンビニ伝説〜」というエッセイを書かれている。「ちょっとバイトするつもりで働きはじめたコンビニは、なんだか変わった店だった。マダム店長の采配に実は妙味があったのだ。コンビニの人間模様」というリード(見出し文)の付けられたこの文章は、やがて『コンビニ店員は見たっ!〜レジの裏から日本が見える〜』(ぱる出版 2011年)という書籍になり、さらに加筆訂正がなされ『おでんの汁にウツを沈めて 44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』として2015年に幻冬舎より文庫化された。

これは音楽ライターとして、1990年代のCDバブル時代は年に数回「海外出張」と称し、イギリスやアメリカにアーティストのインタビューに出かけていた(「それだけのためにレコード会社がアゴアシ付きで連れて行ってくれる!」という記述がある)和田さんだったが、2009年頃になると突然訪れたCD不況によって仕事の依頼が激減。コンビニでアルバイトを始めるという物語である。

立場と多少の時代のズレはあるが、僕もほぼ同じ経験をした。僕はアダルト雑誌のライターをしていたわけだが、2010年くらいを境にして関わっていた複数の雑誌が音を立てるように休刊していった。担当編集者は次々とリストラされ、最終的には多くの出版社が消滅し、すべての仕事を失った。何となく耳にはしていたものの、レコード業界や音楽メディアの世界でも、そのような時代の大きな移り変わりがあったのだと知った。ただ『コンビニ店員は見たっ!〜』はあくまでも和田さんのコンビニバイト奮闘記であり、そこで働く人々のコンビニ愛、仕事愛に溢れた凛々しくも逞しい生き方を描いたものだ。そこで改めて彼女がどのような経緯で音楽ライターになったのか、そして音楽を文章で表現することについてお聞きしたいと思った。

和田さんは20歳から6年半、音楽評論家であり作詞家、湯川れい子さんに師事。アシスタントを務めた経験があり、湯川さんの半生を描いた『評伝★湯川れい子 音楽に恋をして♪』(朝日新聞出版)という著書もある。また大相撲ファンとしても知られ、2017年には『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』(シンコーミュージック)を出版した「スー女(相撲を愛する女子)」でもある。以上を踏まえたうえで、インタビューを始めることにしよう。

『ベストヒットUSA』で「リック・スプリングフィールド王子」に出会った沼津の少女時代

「最初に生年月日、聞いてもいいですか?」と言うと、「いいですよ。1965年の7月10日」という答えが返って来た。

「生まれたのは千葉県の市川ですけど、そこには2歳くらいまでしかいなかった。その後、埼玉県春日部市の、『クレヨンしんちゃん』の舞台になってる武里団地に引っ越すんだけど、そこもちょっとの間で、後は静岡県の沼津です。高校を卒業するまでいた。沼津ってのは地名的には何となく知られるけど、特にないもない田舎ですよね。名物は干物と蜜柑くらい。最近はアニメの『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台になったんで、いわゆる〈聖地巡り〉でその手の人たちがたくさん来てるみたいですけど」

「お父さんは何をやってる人なんですか?」

「ウン、お父さんは蒸発しちゃったから、何してるのかわからない」

「うわっ、いきなりそう来ますか」

「いきなりズバーンと直球でしょう?(笑)昔から家にはあまりいない人だったんですよ。ウチのお父さんってすごい遊び人で、男の友達には『それって男としては理想の人生だね』なんて言われるんだけど。常によそに女の人がいて、お母さんと結婚したときも、1週間目にはもう帰って来なかったという。だからしょっちゅうそんな感じで、お金がないときは家にいるんだけど、お金をちょっと持つとパーッと外にいっちゃう。まあそういうクソろくでなしですよ、アハハ」

「私が22、23歳くらいの時にやっと離婚して。そこから先は、しばらくはその辺にいたんだけど、そのうちに大借金をこさえてどこかへいなくなっちゃった。でも時々お母さんのところに電話があるみたいなんで、生きてることは生きてるんでしょうね。電話は、何しろお金がないので『お金ください』みたいな。それで『ウチもないわよッ』とガチャ切りされる(笑)という。ただ、和田というのはお父さんの姓なんですよ。母が離婚後も和田を名乗っているので、私はオカンの戸籍に入ったカタチで」

「実はお母さんもけっこう家にいない人で、ウチの母親はマッサージ師をやっていて、だから仕事であっちこっちへ行くんですね。私が高校生くらいになると、母もボーイフレンドを作ったりして。2つ歳上の姉がいるんですけど、だから二人して『何ンだよ、この家は。オトンもオカンもいねえなあ』なんて言って。でもまあ、田舎の子どもだし、それで何か思い詰めるとか、自分も不良になってどっか遊びに行くとか、そういう考えにはまったく至らないわけ。そもそも遊びに行くところなんてないんだから。家にいてレコード聴いてるくらいだよね」

レコード、という言葉が出たところで、「音楽の目覚めは?」と聞いてみた。

「これ、色んなところで書いてるんですけど、私が高校1年のときに『ベストヒットUSA』(小林克也がパーソナリティを務め、音楽PVを流してアメリカのヒットチャートを紹介する番組)が始まるんですよ。東京ではどうだったか分からないけど、沼津では金曜日の深夜、すっごく遅い時間にやってたんです。それでまず最初に仲のいい女友達がエア・サプライというオーストラリアのバンドを好きになって、そうそう、すごいハイトーンボイスでバラードと歌うグループ。それで『和田ちゃん、お願いだからエア・サプライを観て。「ベストヒットUSA」に出てるから観て、観て』って頼まれて」

「えー、ワケ分かんねえなって思ったけど、彼女があんまり熱心に言うから。分かった、観るよって。それで夜中まで起きて観たんですよ。そうしたらリック・スプリングフィールドという美形の、当時のアイドルロックシンガーですよね。その人が出てた。リック・スプリングフィールドは『ワーキング・クラス・ドッグ(Working Class Dog)』というアルバムから、最初に「ジェシーズ・ガール(Jessie's Girl )」という曲が全米第1位になったんですけど、私が観たときに2枚目のシングルカット、「アイヴ・ダン・エヴリシング・フォー・ユー(I've Done Everything for You)」が流れたんですよ」

『ワーキング・クラス・ドッグ』というアルバムはよく覚えている。僕が大学生になった頃だ。イヌ(ブルテリア)がワイシャツを着てネクタイを締めているジャケットで、渋谷辺りのお洒落な喫茶店に行くと曲が流されアルバムが飾ってあった。

「そのビデオが流れたら、リック・スプリングフィールドがジャーンジャンジャンジャーンってギターを鳴らして、超カメラ目線で歌うっていう、今思うとそれだけの内容なんですけど、ガーンと来ちゃって、それでめっちゃ好きになっちゃったのよ」

「アイヴ・ダン・エヴリシング・フォー・ユー(I've Done Everything for You)」のPV(プロモーション・ビデオ)は、今もYouTubeで観ることが出来る。暗いライブハウス風のステージで、ギター、ベース、ドラムのいわゆるスリーピース・バンドの演奏で始まるのだが、サビの「I've Done Everything for You(俺はお前のために何でもしてきたぜ)」というところで突如カメラ目線になり、続く「You've done nothin' for me(なのにお前ときたら何もしてくれないじゃないか)」と歌う場面では、赤いドレスに身を包んだ、それっぽいブロンド美女まで登場するという、まさに80年代的な映像だ。

「私って好きになると“こうなる”タイプだから」と、和田さんは両手を顔の前で狭める「一直線」「周りが見えなくなる」ポーズを取る。

「もう、私の人生、リック王子に捧げるわ、みたいになるんですよ」

「それまで音楽はあまり聴いてなかったの?」と僕。

和田さんは「クラシックとか聴いてましたね」と答える。

「というのは映画が好きで、洋画ですね。『スター・ウォーズ』(1977年 監督:ジョージ・ルーカス、1980年に『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』と改題)がアメリカで公開されたのが、私が小学校6年の時なんですよ。音楽がジョン・ウィリアムス(作曲家、指揮者)じゃないですか。同じ年に公開された『未知との遭遇』(監督:スティーヴン・スピルバーグ)もそうで。いいなあ、この人はどういう人なんだろうって調べてみたら、ジャズピアノなんかも弾いてたらしいんだけど、基本的にはクラシック畑の人で」

「じゃあ、ひょっとしてマーク・ハミル(『スター・ウォーズ』の主演、ルーク・スカイウォーカー役)とかも好きだった?」

「そう! マーク・ハミル、超大好きで。だからリック王子の前は、ルーク・スカイウォーカー王子。あとは、今のフィギュア・スケートでは羽生結弦クンが王子と言われますけど、イギリスにロビン・カズンズっていう、まさに〈王子〉然とした凛々しくカッコイイ選手がいたんですよ。レークプラシッドオリンピック(1980年)の男子シングルの金メダリスト。もう『ロビン様、ロビン様』って夢中で。つまり私の場合、時代、時代でも常に王子がいるんです」

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雑誌『JUNON(ジュノン)』の編集長に、「あなたは文章が面白いから、将来はライターになりなさい」と言われて

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