銭湯のピアニストからヤクザ映画まで、殿上湯はなぜ自由すぎるのか。銭湯コミュニティの可能性(後編) 

かつてはどの街にもあり、地域コミュニティの担い手だった銭湯は今、廃業が相次ぎ、減少の一途を辿っている。

そんな中、新たなカルチャーの発信地として独自の進化を遂げている銭湯がある。その一つが前編で紹介した『小杉湯』。ゆるく繋がりながら、プロジェクトごとにきちんと編成されている『小杉湯』のコミュニティは、音楽で例えるなら正調のオーケストラと言えそうだ。

その一方で、まるで転調を繰り返すフリーキーな即興ジャズのような独特の活動を続けている銭湯もある。北区西ヶ原にある『殿上湯』だ。後編では、『殿上湯』が築くコミュニティの形に迫ってみよう。

小杉湯から広がるビジネス、アート、まちづくり。銭湯コミュニティの可能性(前編)

自由すぎる銭湯の“住み込み居候”ストーリー

珍しい屋号を持つ『殿上湯』。創業は江戸時代まで遡り、当時、周辺に幕府が御殿を建て、鷹狩りなどを上覧していた「御殿山」という地名だったことを由来に持つ。

その後、家族経営となり、現在の場所に移転してからは約60年が経った。地下135メートルから汲み上げる軟水の天然水を使用し、湯質が良く当たりも柔らかい備長炭風呂を提供……と、一見すると、どの地域にでもある銭湯だが『殿上湯』が異彩を放っているのは、“住み込みの居候”の存在だろう。

その制度は、営業前の準備と終了後に行う約2時間の掃除、そして隣接するアパートの各種手伝いをすれば、給金はないが部屋と毎日食事が提供されるという、トラディショナルな昭和スタイル。

「いつ始めたというか……自分が物心ついた時から、知らない人がいるのが当たり前でした。家族水入らずの団らんとか、逆に違和感しかないです(笑)」

そう話してくれたのは、5代目として実務を担当している若旦那の原延幸さん。

「戦争を経験した私の父の話を聞いてきたから、それに比べたらほとんどのことはなんてことないんです」と和夫さん(写真左)。その精神は延幸さん(写真右)に受け継がれている

そのルーツは一族で受け継がれてきているものだという。とりわけ、破天荒な人生を歩み、現在、様々な理由で学校に行けない子どもたちの為の教室の運営に携わっている父の原和夫さんは、とにかく困っている人がいたら引き受けていたという。

「巣鴨で絵を売っていた外国人が職質されていたら、俺が面倒みてやるって家に連れてきたり、外国人が羽田から直行で来て、そのままうちに住み込み込んだり。昔の“駆け込み寺”みたいな存在ですね」

それとは別に、家から自立したくて来る子や、夢を持って地方から出てきた子が住み込むようになることもある。常時2人から5人の居候が同居し、過去の滞在者を合わせると総勢30人程度。日本人だけでなく、アジアやヨーロッパ、アメリカ等、国籍も様々。居候が終わって出て行った人たちも、年に1回予告なしに訪れては、お土産だけ置いて帰る台湾人女性など、江戸時代の町人暮らしのように繋がっているというから面白い。

現在、住み込みの居候をしている望月さんは、働いていた雑貨屋を辞め、好きな銭湯の仕事を探していた。偶然、Twitterで『殿上湯』の募集を見つけ、応募したという。

「全然違う家族と毎日食卓を囲んだり、掃除したりして暮らすのは不思議ですが面白いですね」

「『殿上湯』でライブイベントをやりたい」と望月さん。取材時には、もう一人の住み込み居候で「銭湯の中で地域医療に繋がるセミナーをやりたい」と話す現役医学部生も

さらに、近隣で『殿上湯』が経営するアパートがあり、国籍問わず様々な人が常に出入りし、気が向けば昼から庭でBBQや流しそうめんをしたり、旅行客に部屋を貸すなど自由に楽しんでいる。

「居候の子に理由とか出自とか特に聞きません。話をして自分も含めた『殿上湯』周りの皆とフィーリングが合うかどうかだけ。国籍も性別も年齢も関係ない。人なんて家族でも分かり合えないものだから。新しく来る人たちが持っている文化に、こっちが影響を受けることもありますし、そこから生まれることを楽しみたいだけです」(延幸さん)

アクシデントを楽しみ、独自の活動で巻き込む面白さ

「『殿上湯』は常に、偶発的なアクシデントを楽しんでいるんです」

そう笑う延幸さんの垣根がない自由なマインドは、ストリートカルチャーに夢中だった若い頃の経験によるものが大きい。中学生の頃から銭湯の仕事を手伝っていたが、高校を卒業した頃、世の中はスノーボードの黎明期。岩手のペンションやホテルで住み込みで働いたり、仲間と家を借り、夏はサーフィンに没頭するなど、情報もスマートフォンもない時代で、すべて現場で体感してきた。

「スノボとかエクストリーム系のスポーツは、いきなり岩や木が出てきたり、頭の中で想定している通りにいくことなんてまずない。それは人生も同じで、たとえハプニングが起こっても、それを楽しんで、後で笑えればいいと思っています」(延幸さん)

「アイデアは話ながら生まれることが多いです。常に物事は偶発的に起きるから、その時に対応できる準備はしています」と延幸さん

転がる石のように流動的な『殿上湯』のコミュニティは、時として銭湯の活動から大きく逸脱することもある。

父・和夫さんがフランスを訪れた時に知り合ったフランス人が、大学教授を目指して東大に留学し、居候をしていた。その後、帰国するも再度来日した時は映画の助監督になり、『殿上湯』で本物のヤクザに密着するドキュメンタリー映画『ヤング・ヤクザ』(2008年/ジャン=ピエール・リモザン監督)を撮影。延幸さんは手伝った縁で、カンヌ国際映画祭でレッドカーペットを歩いた。

その他にも、『殿上湯』の中でピアノコンサートをする『銭湯のピアニスト』では、会場として貸してほしいというアーティストのオファーを二つ返事で快諾。さらに別のライブイベントでは、庭でBBQをして、その間に風呂を入れて最後にみんなで入るという、“控えめにいっても最高”のプランを提案するなど、机上で考えるのではなく、話ながら生まれたアイデアと銭湯という空間を組み合わせ、『殿上湯』にしかできないことを大事にしている、と話す。

「今企画しているところですが、映像作品や音楽のライブだけじゃなく、リニューアルの時は途中まで壊して会場を作って、銭湯初のプロレス興業をするとか、“ここにしかない”面白いことを発信していきたいですね」

延幸さんはサウナの本場フィンランドを視察。次回のリニューアルではサウナを導入する予定だとか

それはもちろん、古くからの地域コミュニティの担い手であり、憩いの場である銭湯としての役割を果たしながら、だ。

「自分を含めた周りの人も、昔から来てくれる地域の人も、表裏ひっくるめて『殿上湯』が好きだから、こういった活動ができています。だから、銭湯文化を守るなんて高尚なことはできないですが、言葉ではなく『なんかいいよね』『グッとくるよね』って感性に訴えかけて、面白がってもらえることを提示しながら生き残っていきたい。

自分の目標は、バンクシー(世界的に有名なグラフィティアーティスト)が夜中に勝手に入って落書きしたくなる銭湯、ですから(笑)」(延幸さん)

江戸時代の浮世絵とストリートカルチャーを融合させたアート作品が飾られている。「無理なく銭湯とストリートカルチャーを結びつけて、新しいことを発信していきたい」(延幸さん)

『小杉湯』と『殿上湯』は、同じ銭湯でありながら性質の異なるコミュニティが形成されているが、共通するのは、当事者たちの銭湯への偏愛。

そして「自発的にアイデアが生まれ、参加への選択権がある」というゆるい繋がりで、多くの人を“気持ちよく”巻き込んでいること。決して一部の人だけが楽しむサブカルチャー的な空間ではなく、地域の拠り所としての役割を果たしながら外にいる人の心を惹きつけていく。

そういった独特のコミュニティが、これから銭湯の新しい未来を紡いでいくかも知れない。


【記事内の銭湯重要人物/場所】
▼殿上湯
 住所:東京都北区西ヶ原1-20-12
 電話:03-3910-6426
 営業:16:00〜23:00、金曜定休
 WEBページ
 Twitter(5代目夫人)


写真=上樂 博之
取材・文=藤谷 良介
企画=東京ピストル

#CULTURE

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