ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第5回 成田はじめ(放送作家/脚本家)後編

第5回のゲストは、ベテランの放送作家であり脚本家の成田はじめさんです。放送作家としては、ビートたけしさんがナビゲーターを務める『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系列)、伝説のバンド発掘番組『イカすバンド天国』(TBS)、ホンジャマカ石塚英彦さんの「まいう〜」という流行語を産んだ『元祖!でぶや』(テレビ東京系列)等、多数の人気番組に関わり、また、脚本家としても堂本剛さん主演の『金田一少年の事件簿』(日本テレビ)、浅田次郎さん原作の『プリズンホテル』(テレビ朝日系列)、映画では『アキハバラ@DEEP』(東映)など、ドラマや舞台の脚本を数多く手がけられています。2014年より日大藝術学部放送学科「テレビ企画構成演習Ⅱ」講師。

放送作家が書いた台詞に、演者がどうインスパイアされるかが重要

2018年の7月26日、僕と成田はじめは表参道交差点近くの複合施設「スパイラル」の1階、「スパイラルカフェ」にいた。2日前の取材とは別にもう少し話が聞きたくて、改めて時間を割いてもらったのだ。20代半ばから大御所放送作家の奥山侊伸に師事。氏が代表を務める放送作家集団「DNP」に所属し、主にバラエティ番組を中心に関わっていたが、やがて独立し、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ)や『プリズンホテル』(テレビ朝日系列)等、テレビドラマの脚本も手がけるようになる。インタビューはその辺りの話から再開した。

「それが実に間抜けな話でさ、会社法が変わるという時期があったんだ。来年から株式会社を作るには一千万くらいかかる、みたいな話があって。一緒に仕事してたディレクターや放送作家仲間と、そうなったらもう会社なんて作れなくなるよなあ、なんて言い合ってたんだ。結局その法律は後にまた変わって、そんな資本金は必要なくなるんだけど、当時は取り敢えず会社を作って寝かせておこうみたいなことになってね。それで中目黒にワンルームマンション借りて一応事務所ということにするんだけど、当然毎月家賃だけは引き落とされていくから、仲間同士持ち寄った資金はどんどん目減りしていくわけだ。そこで困ったなということになって、とりあえず俺の収入をそこに入れようと。それで奥山さんとこに相談に行って、『実はこういう事情で、ギャラを新しい会社の方に入れたいんですけど』って言ったんだ。当然すっげえ怒られると思ったよ。何しろさんざん世話になっておきながらムチャクチャ勝手なことしてるわけだからさ。怒鳴りつけられる覚悟で出向いたんだけど、たったひと言『そうか、寂しくなるな』って言われて、最後もまた泣きそうになった(笑)。だから実は今でも時々、奥山さんのところにずっといるべきだったかなあなんて思うけどね」

「特に独立したこととは関係ないんだけど、その頃からなぜか『金田一少年の事件簿』とか、『プリズンホテル』とかドラマの仕事が入るようになるんだ。それまでも深夜ドラマとかはかなり書いてたし、元々芝居を書いてたくらいだから特に違和感はなかったんだけどね。ただ、テレビドラマのシナリオというのはものすごく書き直しが多いんだよ。おそらくすごい強行軍で撮ってるからだろうけど、その日にこの役者はいません、スケジュール的に無理ですとか。あるいはアイドル的な俳優や女優だと、『この台詞は言わせられません』『事務所からNGが出ました』とかね。そういうのをプロデューサーが申し訳なさそうにすごく遠回しに言ってくるんだ。ドラマを書いている脚本家の先生たちは嫌がるからね。倉本聰さんがとにかく一字一句、役者が語尾やアクセントを変えるのも拒否するというのは有名な話だけど、俺の場合はバラエティを多くやってたからさ、台詞が変わるなんて日常茶飯事で、『変に気を遣わないで早く言ってくれ』って思ってた。バラエティの場合、オープニングトークなんかも一応書くんだけど、ほとんどのタレントさんが台本通りになんて言わないからね」

放送作家という仕事について、そこもひとつ不思議なところだった。バラエティ番組にも当然台本はあるだろうが、しかし視聴者として観ているとタレントさん、特にお笑いの芸人さんたちはアドリブで面白いことを言っているように見える。

「うん。だからこっちが書いた通りしゃべってくれるかというのはさして重要ではなくてね。俺たち放送作家が書いた台詞に、演者がどうインスパイアされるか、そこで何を思い付いてくれるか? を考えるよな。だから割と裏の裏をかくというか、こういうことを言わせたいと思って、敢えて別のことを書くとかね。タレントさん、芸人さんによっては、絶対に台本通りにしゃべらないという人がいるから。そういう人のためには、こう書いておけば、あの人はこの逆を行くだろう、とか予想したり。ただ最近の流れとして、『台本は読みません』という人がいて、だから女子アナなり何なり進行役を立ててくださいと。その代わりVTRとかにはちゃんとリアクションしますからというのが多くなっていて、これはまたそれなりに考えなきゃいけなくなってるんだけどね」

考えてみれば、小学生の頃からバラエティの構成みたいなことをやってた

「改めて、〈書く〉ということについて聞きたいんだけどね」と僕は言った。

「前回、10代の頃から『物書きで一生を終えたいと思ってた』と言ってただろう? だけど何を書いたらいいか漠然としてたって。それが少し意外だったんだ」

前編の冒頭にも書いたが、成田はじめは知り合った頃から大学の演劇研究会に所属し、劇の台本を書いていた。だから演出家・劇作家を目指してしていたと、僕は勝手に思い込んでいたのだ。

「それを話し始めるとまたずいぶん昔のことからになっちゃうんだけどさ」と成田は言う。

「いちばん最初に、身体が弱かったこともあって本ばっかり読んでる子どもだったって言っただろう。そんなこともあってか、中学1年のとき読書感想文コンクールで、北海道知事賞をもらったんだ。畑正憲の『ムツゴロウの無人島記』の感想文だったよ。そうしたら現国の先生がえらく喜んで、というか舞い上がったんだろうな。勝手に文章に手を入れて、『こう直して全国コンクールに出そう』って言い出したんだ。俺は子ども心に『そんなふうに変えたら台無しなんだけどな』って思ったけど、先生があまりに張り切ってるから言えなかった。案の定、全国大会では何の賞も取れなくて、内心『アンタが下手に改ざんしたからじゃん』と思ったけれど。まあ、そんなことがあったせいか、結構子どもの頃からものを書く仕事に就きたいというのが漠然とあって、それが次第に書くことだけをやりたい、それ以外の仕事はしたくないみたいなことになっていったんだと思う」

「というのも、ウチの親父というのが実に真面目なサラリーマンでさ。次の日忙しいから早く寝る、みたいなね。そういうの間近に見てて、生意気にも『つまんねえなあ』とか思っててさ。毎日同じところに行く仕事は嫌だなあなんて、考えてたところはある。親父のことは大好きだったんだけど、もっと違うことで身を立てていけばいいのにって。というのは、すごく面白い人だったんだよ。総務部の部長とかだったから、部下は若い女の子ばっかりでさ。北海道時代から何かあると部下たちを自宅に招いてジンギスカンパーティとかを開いて、自分でネタをやってみんなにを笑わせて喜んでるような人だったんだ。だからサラリーマンなんて辞めて、そっちの方へ行けばいいのに、なんてね。まあ親父が社会人になった頃は戦後間もなくで、家族を食わせていくにはそれしかなかったんだろうけど。ネタ? うん、モノマネとかやってたよ、双葉百合子の『岸壁の母』とかね。割烹着着て姉さんかぶりにして。そうそう、俺が小3くらいになると『お前も手伝え』って言い出して、俺が司会をやって『謎かけ』のお題を考えたりクイズ大会やったり、だから考えてみれば、俺は小学生の頃からバラエティの構成みたいなことをやってたんだな」

「高校は放送部でさ、動機はすごく不純で、俺たちの頃って長髪の時代だろ? 髪を伸ばしたいんだけど、私立だからうるさくて。全校集会のときに教育指導の教師とかかが背後からチェックしてさ、長いと『明日までに床屋行って来い』とか言われるわけだよ。ところが入学してしばらくして気づくんだけど、なぜか数人長髪のヤツがいる。よくよく調べると全員放送部なんだ。つまり集会のとき、彼らは体育館の2階とかにある放送ブースにいるから注意されないわけだ。『これだ!』って思ってさ(笑)。でもまあ、入ったら結構真面目にやって、東京都高校放送劇コンクールってのがあるんだけど、2年のときに3位になって、3年のとき優勝した。そもそも出品する高校が少ないからたいしたことないんだけどね。でも、國學院久我山って野球とかラグビーが強いだろう? ちょうど同じ高3のとき野球部が甲子園に行くことになってさ、一緒に表彰されたりした。甲子園出場も東京都西大会の優勝で、放送劇コンクールも東京都大会優勝なんで、たぶん職員室でも悩みに悩んだ末に平等に表彰したんだろうな。放送劇というのはいわゆるラジオドラマだよ。オリジナルのストーリーを書いて、声優も自分たちでやった。俺の中に〈物書き〉になりたいというのはあったんだけど、何を書くのかはハッキリとしていなくて、小説というのは、書いてみたいけど難しいだろうなあとかね。そんなときに劇の台詞を書くということを経験して、それが最初の方で言った、同級生の冨岡と観た、つかこうへいさんの芝居と出会って、『よし、大学に入ったら演劇をやろう』ということに繋がったんだと思う」

「大学を卒業してフリーライターになったとき、インタビュー記事では結構著名な人に会ったと言ってただろう。どんな人と会ったの?」と僕は聞いた。

彼は少し考えて「印象に残ってるのは──戸井十月さん、北方謙三さん、志茂田景樹さん、椎名誠さん、かな」と答えた。

「思いつくままに挙げたけど、よくよく考えたら、印象に残ってるのは全員作家なんだな。他にも、ラジオの仕事のきっかけになったパーソナリティとか、タレントさんとかアイドルとかずいぶん取材したけど、正直あまり記憶にないかな」

驚いた。「20代でそんな人たちに会ってたんだ? しかもどの人もすごく勢いがあった頃じゃないか」

「そうだね。インタビューした場所を今でもはっきりと思い出せるよ。戸井さんは青山のバー、北方さんは白金のホテル、志茂田さんは六本木のカフェ、椎名さんはまだ業界誌のサラリーマン編集長だった時代で、会社に近い新橋の喫茶店だった。あと、阿刀田高さんにも会った。阿刀田さんは南青山の自宅兼仕事場のマンションだった。著名人にインタビューする場合、たいてい向こうから自分が話しやすい場所を指定してくるけど、今挙げた人は全員、いかにもその人らしい場所だと思わないか? つまり自己演出というか、自分らしい舞台設定を持ってるんだな」

〈書く〉ことを仕事にするということは、単に書くものが面白いだけじゃダメなんじゃないか?

「どの人からも、作品の文体やテーマとリンクした、自身のライフスタイルの大切さを教えてもらった気がする。もっと言うと、文体とライフスタイルの一致が上手く行ってる人ほど売れっ子になるって感じた。と言うのも、今挙げた人たちは皆、かつては文学青年だったわけだろ。でも戸井さんだとアウトドアとか、北方さんはハードボイルド、椎名さんだと新橋のサラリーマンであることをアピールしてた。つまり作家としてのイメージを、いかに文学青年から遠いところに持っていくのかが大事なんだなって感じたんだ。なぜなら俺も含めて世間は、文学青年の書いた真面目な読みものなんか読みたくなんかない。あの頃、特に80年代の初めというのはそういう風潮があったじゃないか。だからどうやって物書きとしての間口を広げるか、他人からいかに『面白そう』って思われるかじゃないかと」

「そこで20代の俺が学んだのはさ」と成田は言う。「少なくともそれを仕事にする場合、単に書くものが面白いだけじゃないんだってことだった。もちろん、書くものが面白くなくちゃ話にはならないんだけど、それ以上のものが必要なんだなって。当時の俺は結婚して子どももいたから、とにかく喉から手が出るほど金が欲しくて、仕事が欲しいって顔に書いてあったと思うんだ。でもそれを出しちゃうと書いた文章まで面白くなくなっちゃうと思って、やせ我慢してやめた。だからラジオの仕事を始めた頃からは無理やり『仕事なんてしたくない』ってポーズを取って、『仕事が嫌いだし、締め切りはもっと嫌い』みたいなことを時にそのまま、あるいは遠回しに言うようにしてたら、一気に仕事が増えたような気がする。もちろんこれって一種のハッタリだから、あくまで若くて競争率の高い時期だけに通用する手法なんだけど。今、この歳で俺がそんなこと言ったら『じゃあ隠居しろよ』って言われるだろうけど(笑)」

「長年この仕事をして来たわけだけど、成田が思う、ものを書く上でいちばん大切なことって何だろう?」と聞いてみると、
「それは何と言っても、『締め切りを設定してくれる人』だろうね(笑)」という、実に彼らしい答えが返ってきた。

「実は小説らしきものを執筆していた時期があってさ。2000年になったばかりの頃、アクセス・パブリッシングという『東京カレンダー』を発行していた出版社があってね。そこの平澤さんという編集長が突然連絡を取ってきて、『小説を書いてみませんか?』って。文芸誌を創刊することになったって言うのよ。『生本〜NAMABON〜』っていうタイトルの全く新しい文芸誌というフレーズで、大好きなイラストレーターの安西水丸さんとか、まだ直木賞を受賞する前の角田光代さんが執筆陣にいたりして。この人たちの名前を見て、ノッかってみることにした」

「それで『東京妖怪プロファイル』っていうタイトルの短編小説らしきものを連載するんだけど、この平澤さんって人が実に締め切り設定上手な人でね、どうして俺のスケジュールを知ってるんだって腋汗かくくらいの絶妙な締め切り日を提示してくるんだ。おまけに打ち合わせで、『次回はこんなストーリーにしようと思ってます』みたいな話をすると、『全体的には良いですが、ココはどうなりますか?』と、俺が最も見えてなかった部分を指摘してくるんだな。最初の頃は『この男、俺の心を読めるのか?』と怖くなったんだけど、そんなワケないから、まあ相性が良いんだろと思うようにしてたけどね」

「この人にノセられて、3年くらい毎月連載を続けて、『今度は男と女の話にしませんか?』って言われて『ハーレム・ブルース』っていう少しウェットなストーリーを2年ばかり。そろそろ飽きたなって思ってたら、『映画をベースにした話はどうですか?』って言われて、『キューブリック・スタイル』というスタンリー・キューブリック監督の作品をヒントにまったく違う話に置き換えたりしてね。なんだかんだ言って6〜7年ほど、毎月毎月落とすことなく連載し続けた。これが楽しくってねぇ、夢中で書いてたな。その時思ったんだ、学生時代に芝居の台本を書いてた頃は自分のペースだったんだけど、いつの間にか締め切りを提示されないと書けない身体になってしまってるって。しかも平澤さんのような絶妙な締め切りとアドバイスを提示してくれると、本当に楽しくイキイキと書けるもんなんだなって。残念ながら出版不況のせいもあってか、その出版社はもうなくなっちゃったんだけど、その時は大事な足場が崩れてしまったような喪失感を覚えたな」

あなたは最愛の女を死なせてしまって、自分は畳の上で死ぬつもりですか?

長いインタビューになった。1日目に川上尚見さんによる写真撮影も含め約3時間話を聞いて、この表参道「スパイラルカフェ」でも、僕のiPhone6のボイスメモは、既に2時間半以上回っていた。

「こんな話でいいのか?」成田は僕に聞いた。「最近の仕事についてが少ない気がするけどな」

「いや、面白かったよ」と僕は答える。「ありがとう。久しぶりに会えてよかった」

この連載は、これから「書く職業」に就こうとしている人、あるいは今まさに「書く職業」で頑張っている若い人にも読んでもらいたいと考えている。それには、ある程度何かを達成した後の話は少なくていいかもしれないと思った。

「何だか昔話ばっかりした気がするからさ、ちょっと前にあったことを話しておくよ」

成田はじめは、最後にそう語り始めた。

「3年前くらいに、久々にラジオドラマを書いたんだ。YBS山梨放送って地方局の制作で、すごく硬派な番組なんだけど。山本美香さんっていう、シリアのアレッポで銃撃されて亡くなった戦場ジャーナリストがいたのは知ってるよな」

「うん」僕は答える。山本美香さんが撃たれた事件は記憶に生々しい。そもそもあんなに綺麗で可憐な人が、空爆やテロが横行する戦場にいること自体が衝撃だった。

「美香さんが山梨県の出身で、大学も山梨の都留文科大学というところでさ。YBSも開局何十周年とかだったのかな、ぜひラジオドラマにしたいということでね。俺としてはラジオ自体が久々だし、ラジオドラマなんて本当に何十年かぶりに書いたんだ。構成としては藤原紀香さんが山本美香さんの役をやって、彼女が戦場ジャーナリストになって、戦場で悲劇の死を遂げるまでの物語。そのラジオドラマの間に、佐藤和孝さんという、山本さんの仕事上のパートナーであり、そして私生活では恋人でもあったジャーナリストのインタビューを挟んでいくというフォーマットだった」

番組名は〈都留文科大学 Presents YBSラジオ スペシャルドラマ 生と死の狭間に〜戦場ジャーナリスト山本美香〉。調べてみると母校・都留文科大学演劇部の学生や、地元の市民劇団員もドラマに参加したという。2015年(平成27年)日本民間放送連盟賞「ラジオエンターテインメント番組部門」優秀賞を受賞している。

「そもそも佐藤和孝さんが美香さんを戦争報道の道に引き入れて、しかも男と女の関係にもなって、最後も一緒にシリアのアレッポに行き、美香さんは非業の最期を迎えるんだけど、当時からなぜ愛する女性を守れなかったのか、自分だけノコノコ帰ってきやがってみたいなことで批判されたりしてたんだよ。俺は美香さんの書いた本から講演会の資料までもちろん全部読んで、佐藤さんの書いたものにも目を通したんだけど、やっぱり他の人が思うように、自分の彼女をそういう世界に引き入れて、死なせてしまって、自分は生き残ってということにどうしても疑問が残ったんだ。そういうとき、同じ男としてどういう気持ちなんだろう? 後悔なのか自責の念なのか、あるいは職業として、元々死を覚悟した仕事なんだからと割り切っているのか、その辺りがよくわかんなかった。だからその佐藤さんへのインタビュー部分を、俺が直接聞き手になって収録することにしたんだよ」

「で、ディレクターには打合せの段階から、『だんだん失礼なことを聞いていくから、最後、怒って帰るかもしれないぜ』って言っておいた。最初は丁寧に聞いていくけど、後半になってちょっと挑発的なことも言って、それで最後の質問は、『あんた、そんなことして畳の上で死ねるんですか』ってことを聞こうと思ったんだ。ディレクターも『それ、イイっすねぇ』なんて言って、『そんなこと訊けるの成田さんしかいないっすよ』って妙なおだてられ方してさ。まあ俺は昔っから慇懃無礼にインタビューして、取材対象の人を怒らせるのが得意だったんだ。そっちの方が相手の本音が出るだろうからね。で、本番になって佐藤さんとブースの中でふたりっきりになって、すごく長く話したよ。何時間も会話を続けて、これまでのこととか全部聞いて、途中失礼な物言いもしてムッとされたりもして、そして最後の最後に、『あなたは最愛の女を死なせてしまって、自分は畳の上で死ぬつもりですか?』って言葉を投げかけたんだ。そうしたら佐藤さんは一瞬ウッと詰まったんだけど、妙に明るくというか爽やかに、『いやあ、畳の上で死にたいねえ』って答えたんだ」

「ちょっと驚いてさ。一瞬詰まったにせよ、綺麗事を言うかと思ったら、『そりゃあ、畳の上で死にたいよ』って実に平然と屈託なく答えた。そして続けて、『戦場ジャーナリストっていうのは、死ぬことが仕事じゃないからね』って何とも淡々とした感じで言った。もっと怒ったりするかと思ったら実に自然体でさ。何かちょっと嬉しくなってさ、終わってから飲みに行こうってことになって、ディレクターと一緒に飲んでたら、佐藤さんが『キャバクラ行こう!』って言い出してさ。スタジオは田町だったんだけど、田町の安いキャバクラに行ったよ、3人で。そうしたらさっきまであんな深刻な話してたのに、隣に座った女の子に、『じゃあ俺たち付き合っちゃう?』とか言って笑ってんのよ。シンパシーを感じたけどね(笑)。収録前は、最悪その場で怒り出すのは別にいいんだけど、あそこはカットしてくれとか、下手すると俺のインタビュー部分は使ってほしくないとか言い出したらイヤだなあって思ってたんだけど。まったくの杞憂だった。でさ、そういうことだよなあって思ったんだ」

「そういうことって?」と僕は聞いた。

「つまり割り切れないってことだよ」と成田は言った。

「人生も、仕事も、戦場も、男と女も。全部、広州の犬売りのおじさんと一緒ってことなんじゃないかな──」


写真=川上 尚見
取材・文=東良 美季

#CULTURE

関連記事はありません。There are no related articles.

MOST POPULAR

LOGIN