「ブログは生きた証を残すために始めた」中川翔子が切り開いたサブカルチャーの未来

たった10年で世界の色がガラッと変わる

2018年現在、SNSを見れば老若男女問わず「好き」を発信する姿を目にすることができるはずだ。「好きなことで生きていく」なんて言葉が認知され、YouTuberやプロゲーマーといった新しい職業も生まれつつある。つまり、「好き」は隠さなくてよいどころか、仕事にすらなりえる時代なのだ。しかし中川翔子が世界に対して発信をし始めた頃、世界はまだサブカルに対して冷たい目を向けていた。

そんな時代に誰構うことなく「これが好き」と言い続けた中川。時代の流れを変えたひとり、もしくは先駆者と言っていいのではないだろうか。では、そんな彼女自身は「世界を変えた」自覚を持っているのだろうか。

そう問うと、反射的に「まったくないです。恐れ多いことです」と彼女は続けた。(以下、太字=中川)

たった10年で世界の色がガラッと変わるんだなと日々驚いています。ほんの10数年前まではまだインターネットが普及しきっていなかったじゃないですか。個人のHPなんかもまだあまりなくて、ブログもなかったですよね。

総務省の調査報告書によると、『しょこたん☆ぶろぐ』が開始された2004年のインターネット普及率は62.3%、利用者数は7,948万人。対して2016年のそれは83.5%、1億84万人と、文字通り桁違いに増加している。

今はSNSのトレンドワードにアニメが当たり前に入ってくる国民総ライトオタク状態。10数年前の人に教えたら一番びっくりされることなんじゃないでしょうか。とても生きやすくなったとも言えるし、生きづらくなったとも言えると思います。

ではその時代になぜ自らの「好き」を発信できたのか。その理由は彼女の生い立ちと、そして意外にも「怒り」がトリガーだった。

一人っ子で中野区に生まれたというのはすごく大きいと思っています。中野ブロードウェイが近くにあったり、一人でいる時間を好きに使っていい家庭だったので、絵を描いて、猫がいて、漫画があって、ゲームがあって……今とまったく変わらない状況がずっとあったんです。

三つ子の魂百までとはよく言ったもの。彼女のベースはすでに幼少期に出来上がっていた。

ただ、学生時代やお仕事を始めたばかりの頃は「生きるのってなんて大変なことなのだろうか……」と思うことが多かった。そういうときに救ってくれたのが今で言うサブカルチャーでした。それに触れている時間は自分の心を防御できたのですが、それを外に向けると変な空気になったりすることには憤りを感じていました。

「好きなものを楽しんでいる自由な時間は放っておいてくれればいいのに!」という思いが、ヤケクソに近い感情に変わって、それがさらにひねくれて「どうせ誰も私のことなんか見てないし」というネガティブ反動になり、そこから発信が始まりました。

自ら「ひねくれ」と評した感情の捻れが、そのまま彼女の発信力の源となった。

でも、文句や愚痴、悲しいこととかって、思い出したり書いたりしていくうちに温度を持ってしまうから、もっと冷静になって、生きた証を記しておこうと思いました。そういう経緯で始めたのが『しょこたん☆ぶろぐ』です。書いているうちに段々ネガティブな時間より楽しい時間の方が増えていきましたが、それは結果として後からついてきたという感じです。

時代を変え、自分さえも変えたきっかけとなったブログだが、そこにはタレントとしてブレイクを狙うことや、存在証明といった目的はなかった。だが、続けることで得たものは確かにあったのだ。

その頃のことが今の種蒔きになっていました。「あの時ブログを見ていてそれが勇気になりました」と声をかけていただくことがあったり、思いもしなかったような出会いに繋がっています。私の『ドリドリ』という曲に“「知りたい」の中とか「くだらない」のとなりに愛と宝石は隠れてるみたい”(※注)とあるんですが、その瞬間のどうでもいいことも書いておかないとって。いつ死ぬか分からないんじゃないかとか、異常な焦りに追われていたこともあって、当時やっておいて良かったなと今になって思います。

(※注)
『ドリドリ』歌詞2番Aメロ部分より抜粋


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発信することで生まれた新たな出会い

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