ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~
第1回:北尾トロ(ノンフィクション・ライター)後編

ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第1回:北尾トロ(ノンフィクション・ライター)前編
ライターズ(Writers)〜「書く」ことを職業にした人々~ 第1回:北尾トロ(ノンフィクション・ライター)中編

「書く」ことを「生業」した方々のお話を聞くインタビュー・シリーズ。第1回のゲストは、ベストセラーとなった裁判傍聴記『裁判長!ここは懲役4年でどうすか─100の空論より一度のナマ傍聴』(文春文庫)で知られる、ノンフィクション・ライターの北尾トロさん。裁判だけでなく、妻子と暮らす自宅や仕事場とは別に、実際に見知らぬ街に6畳一間のアパートを借りて9カ月暮らしてみる『男の隠れ家を持ってみた』(新潮文庫)や、近年では自ら狩猟免許を取得して猟に挑戦する『猟師になりたい!』(角川文庫)など、リアルな体験型ライターでもある。
また西荻窪在住時(現在は長野県松本市在住)には、当時まだ珍しかったインターネット古書店を開業(その体験を元に『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』を執筆)、タウン誌『西荻丼』を創刊、2006年より現在まで続く本好きのためのイベント「西荻ブックマーク」を創始、2008年からは長野県伊那市高遠町にて「本の町プロジェクト」を手がけた。さらにはインディーズ雑誌『季刊レポ』(現在は休刊中)の編集長兼発行人を務めるなど、その活躍は多岐に渡る。

見知らぬ町にアパートを借りて暮らすのは、「北尾トロ」ではない本当の自分を探す旅だった

北尾トロ、2000年の作『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』(鉄人社。のちに幻冬舎文庫で文庫化)は次第に「私小説」の領域へと入り込むと〈中編〉で書いた。その傾向は3年後のベストセラー『裁判長!ここは懲役4年でどうすか-100の空論より一度のナマ傍聴』(鉄人社 2003年。のちに文春文庫で文庫化)を挟み、『男の隠れ家を持ってみた』(新潮文庫 2008年)になるとさらに深まる。これもまた鉄人社発行、尾形誠規編集長による月刊誌『裏モノJAPAN』に連載されたものだ。尾形氏もいつものように「オガタ」として登場する。

タイトルからすると、多少金銭的に余裕のできた中年男が、妻子と暮らす自宅とは別に部屋を借りてみたらどうなるか? といった少し楽しげな体験記を思わせる。文庫のカバーにもマンガ家・福満しげゆきによる、アパートの畳の上であぐらをかいた男が「これぞ男の城だ!!」と嬉しそうにバンザイをしている装画が描かれている。ところが連載時のタイトルは吉田拓郎1970年の楽曲名から取られた「こうき心」(1stアルバム『青春の詩』よしだたくろう名義)。内容はかなり違う。
きっかけは結婚11年目、46歳にして長女が生まれ父親になったことだった。もちろんそれは嬉しいことだった。娘の世話をするのも幸せだ。ところが妻が赤ん坊を連れ実家に泊まる用事があり、家に一人残されるようなことがあると、彼は言い様のない不安に襲われるようになるのだ。「オレは一体誰なんだ?」と。
子育てのため、長年暮らした西荻窪には仕事場だけを残し、郊外へ引っ越したのもひとつの原因だった。その頃『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』(風塵社 2000年。のちにちくま文庫で文庫化)で描かれるネット古書店を始めたこともあり、西荻を歩けば知人にも出会い、ライター関係の知り合いもいる。ところが親子3人で暮らす新しい土地には知り合いもなく、先に書いたように妻が娘を連れて外泊などしてしまうと、得も言えぬ孤独感に囚われてしまうのである。

そもそも「北尾トロ」という筆名は、自らを体験型ライターへと奮い立たせる手段のひとつであった。引っ込み思案で人見知りの自分が、「北尾トロ」を演じることにより少しだけ大胆になれる。ところがそうやって長年北尾トロとして生きてきた結果、いつの間にか本名の伊藤秀樹は消えかけていた。今もしもライターを辞め、ネット古本屋も廃業してしまえば、僕を知っている人は家族以外いなくなってしまう。
ふと、知らない町にアパートを借りて暮らしてみたらどうか、というアイデアが湧く。いつもの打合せのときに口にしてみると、編集者「オガタ」もすぐに賛同してこう言った。
「ただし、ライター北尾が部屋を借りましたというのはやめてくれ。そんなものは意味がない」と。取材という意識で行動して、記事を盛り上げようなんていうライター根性が少しでも首をもたげたら、たちまち体験記としてのリアリティが失われてしまうと言うのだ。もちろんそれは彼自身の意図でもあった。見知らぬ町にアパートを借りて暮らすのは、「北尾トロ」ではない本当の自分を探す旅なのだ。

しかし、同書まえがきで著者はこう記す。<連載はつらかった。読者が望むであろう思いがけない展開や爆笑エピソードがガンガン出てくることはまずない(自分が望んでいない)ことが早々にわかったからである。>
そう、『男の隠れ家を持ってみた』は、隠れ家は持ってみたものの、結局エピソードらしいエピソードや、事件らしい事件は起こらずに終わる。しかしその分、物語は彼の内面へと進む。まさに「私小説」の領域へと深く忍び込むのだ。北尾トロはまえがきのラストをこう締めくくっている。
<ぼくはその中で、自分でも気づかないうちに、静かに変わっていったみたいだ。>と。

長年の知人が突然失踪したことによって、自分の存在の危うさを思い知らされた

北尾トロは当時を回想してこう話す。
「そうだね、『男の隠れ家〜』の前に、オンライン古本屋を始めた。今思うと、それがひとつのきっかけにはなったのかもしれない。店舗を持たないネット販売専門の古書店というものができたらしいということで取材をする機会があって、ああ、面白いなって思った。元々本や雑誌は好きだし、1994年に雑誌の『ダ・ヴィンチ』が創刊されて、そこから今までずーっと書いているんだよね(現在は北尾トロ「走れ!トロイカ学習帳」として連載中)。そんなこともあって、自分の仕事場を見ると、もう本が溢れかえっているわけ」
「でも例えばさ、東良さんの今度出した『デリヘルドライバー』(駒草出版)ね、あれさ、僕はもちろん面白いし良い本だと思うよ。でもこれから数年経って神保町辺りの古本屋に持っていくと、値段らしい値段はつかないわけだよ。下手をすると(買い取っても利益は出ないので)引き取れませんって言われかねない。『いやでもこれ、良い本なんですよ』って言っても、『そういう問題じゃないから』ってことで終わってしまう。本好きからするとそういう構造、ちょっと間違ってるんじゃないの? って思うわけ。だから自分でやってみようと。ネット古書店なら、『この本が欲しかった!』っていう人が、一人いれば良いんだからね」
僕は長年、それは知り合う前からそしてこうして知り合った後も、北尾トロという人の行動力に驚かされ続けている。ネット古書店から始まり、西荻窪のタウン誌『西荻丼』創刊、西荻窪で開催され、2017年12月で第100回を迎えた本好きのためのイベント「西荻ブックマーク」、長野県伊那市高遠における「本の町プロジェクト」、そしてインディーズ雑誌『季刊レポ』の創刊。松本市移住以降は自ら狩猟免許、銃砲所持許可を取得しての猟師体験。さらには松本から仕事のため頻繁に東京滞在を繰り返す(『別冊文藝春秋』にエッセイ「今晩泊めてくれないか──東京ヤドカリ漂流記」を連載中)。

ただしそれを言うと、トロさんは、
「でも、今まで話してきたように、元々僕は引っ込み思案の人見知りで、まったく行動的な人間ではなかったんだよ」と笑う。
やはりそれが変わったのは、2005年10月号から翌2006年6月号まで『裏モノJAPAN』に連載された「こうき心」の経験が大きく関わっているようだ。
『男の隠れ家を持ってみた』は先に書いたように、部屋を借りたからといって特に事件らしい事件は起こらずに終わる。ただし、北尾トロの心境に変化を及ぼす出来事はある。
ひとつには物語の中盤、長年の知人が突然失踪する。本人からは「実家に帰る」と聞かされていた。ところが共通の知り合いである「オガタ」によれば実家には帰ってない、各所から借りまくった借金が返せないため、姿をくらましたらしいと告げられるのだ。
さらに彼は「オガタ」にこう言われる。
「なんかお前の関係者ってこういうの多くないか。ひょっとしてお前に原因があったりしてな」と。

「バカいえ、たまたまだよ」と否定したが、内心「またか」と思っていた。一人は会社を辞めたというので「ライターをやれば」と勧め、一時は居候もさせていた後輩。それがやはり借金だらけになって失踪した。もう一人はライター志望の男で、仕事場を提供してやっていたが、これも借金が原因で消えた。おそらくこのうちの一人が『キミは他人に鼻毛が〜』に登場する、「消えたフリーライター」の持馬ツヨシだろう。
問題なのはそうやって親しくしながらも、知人たちは失踪するほどの悩みを打ち明けることがなかった。彼らは北尾トロに対し、心を開いていなかったのだ。こちらは友人と思っていても、相手はそう思っていなかった。
そして物語の後半、見知らぬ町で何とか知り合いを作ろうと、下戸で酒が苦手にも関わらずスナックや居酒屋に入ってみる。そこで60代で作業着姿の、気の良い初老の男と知り合う。そこでオヤジは、彼にこんなことを言うのだ。
「オレは工場とパチンコ屋とアパート、この狭い範囲だけで生きてきた。でも友達は3人いるよ。3人いれば充分。兄さんにだって3人くらいいるだろう、大切な友達が」
しかしそう言われカウンターの下で指を折って数えてみると、2人まではすぐに思い浮かんだが、3人目がどうしても出てこなかった。

結局のところ、見知らぬ町にアパートを借りて暮らす生活は、このように終わる。変わったことがあったとしたら、彼はこの間にひとつ歳を取り、47歳から48歳になったということだ。そう、若くして亡くなった父親の歳に追いついたのだ。
再び「北尾トロ」に戻った主人公は、あとがきで以下のように記す。「それまで苦手だった他人との共同作業に、なぜか興味が湧いてきた」。そこで「西荻で定期的に行われるイベントにスタッフとして参加するのが楽しくなった」、遂には「仲間と共に〈日本に本の町〉を作るプロジェクトを実行に移すべく、長野県で古本屋を始めた」。

タウン誌『西荻丼』創刊、イベント「西荻ブックマーク」開催、そして「本の町プロジェクト」へ。

「ネット古書店をやってたときに、買ってくれた本をお客さんに送るのに、何も添えないのはどうにも愛想がないなと思ってさ、手書きの手紙みたいなものをコピーして入れてたんだよね。これが、思わぬことに評判が良くてね。ちょうど西荻窪という町が注目され始めた頃だった。西荻というのはアンティークショップとかさ、古本屋とか飲み屋もそうだけど、他の土地にはない面白い店がたくさんあるわけだよ。ただし当時はそれぞれがバラバラにマップとか出していて、まったく統一されてなかったんだ」
「それで西荻全体を網羅するような、タウン誌を作ったらいいんじゃないかと思い付いた。そこで『西荻丼』という誌名にして、僕が初代の編集長になったんだ。だから最初は西荻の色んな店を『コンチワ〜』って言って回ったよ。各店3,000円だったかな、コッチが儲けるつもりがないからさ、どこも協力してくれた。『西荻ブックマーク』はね、当時青山ブックセンターとかがしきりにイベントを開き始めた頃でさ。でも、西荻には作家やマンガ家や編集者がたくさん住んでるんだよ。それがわざわざ青山まで行って講演やって、西荻の本好きはそこへ聞きに行く。そんなのおかしいじゃんって(笑)。だったら西荻で開こうよということになった」

「それらと直接の関連はないんだけど、西荻で期間限定のブックカフェをやってた頃に、どうやら海外、特にヨーロッパには本の町(ブックタウン)と呼ばれる町があるらしいって知った。中でもイギリスのヘイ・オン・ワイという町が発祥の地であり有名なんだと。それでたまたま全日空の機内誌の取材で行く機会があったんだ。そうしたらすごく良くてさ。感激して、最初は西荻の古書店の知り合いと二人して、日本でもできないかなあって。賛同者を募ってるうちに伊那市の高遠町に物件が見つかったんで、そこを古書店プラス喫茶店(「高遠 本の家」)みたいに改造してね。だから当時は休みの度に高遠まで行って、ペンキ塗ったりしてたよ」
「だけど、そういう中でもやっぱり『季刊レポ』だよね」とトロさんは言う。
「これはやっぱり覚悟がいった。色んな人に執筆してもらわないといけないし、季刊誌と名乗るからには継続して発行していかなきゃならない。その責任を、僕が(発行人兼編集長として)全部負わなければならないわけだからね」

北尾トロがインディーズ雑誌を始めると知ったとき、心底驚いた。商業誌が売れない、だから売れる可能性は低いけれど面白い雑誌というものが、どんどん減っていた。書店には実用と売上げだけを重視した、無味乾燥な雑誌ばかりが並ぶようになった。トロさんもそうだが、僕らはやはり雑誌で育った世代であり、面白い雑誌に関わることを歓びとする物書きである。だから誰もが空想はしたはずだ。自分の手で、自分が面白いと思える雑誌が作れたら、と。そう、かつて吉行淳之介や野坂昭如、五木寛之や筒井康隆が雑誌『面白半分』の編集長を務めたように。
けれど、自らの生活の糧である商業誌が減って仕事が少なくなり、生活すらままならなくなっているときに、実際にそんな冒険をしようとする者は誰もいなかった。できるはずがなかったのだ。

そこに一説には60万部とも言われるベストセラー、『裁判長!ここは懲役4年でどうすか-100の空論より一度のナマ傍聴』の存在があったのは想像に難くない。僕は、トロさんご自身は嫌がるだろうが、タウン誌『西荻丼』にイベント「西荻ブックマーク」、そして「本の町プロジェクト」という活動を見ていると、北尾トロは「理想を追求する人」だと常々感じている。けれど、理想や夢に自分のお金を注ぎ込むのは、やはり別の話だと思うのだ。だから、
「ちょっと生々しい話を聞いちゃうけどさ」と聞いてみた。
「『裁判長!ここは懲役4年〜』が当たったじゃない、それでトロさん自身、何か変わった?」
トロさんは「ウーン」と少しだけ考えてから、「変わらないね」と答えた。
「例えばさ」と僕。「村上春樹さんなんかは、『ノルウェイの森』がベストセラーになってたことで、きっと誹謗中傷とかやっかみとがあったと思うんだよね。逆に精神的にとても傷ついたってどこかで書いてたけど──」
「僕の場合は確かに売れたけど、春樹さんとケタが違うと思うし。確かに有象無象な、別に傍聴や本を好きじゃない人がたくさん寄っては来たよ。『もう一発当ててみませんか?』みたいな(笑)。そうか、売れるってのはこういうことなんだ、なんて思った。ただ、そういう人はすぐにいなくなっちゃうからね」

『裁判長!ここは懲役4年〜』は一人で歩いてくれた、著者孝行な本だった

「それ以上にあの本(『裁判長!ここは懲役4年〜』)はね」とトロさんは言う。
「親孝行ならぬ著者孝行な本でさ、劇画(松橋犬輔・画『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』新潮社BUNCH COMICS 全13巻)になり、映画(2010年 監督・豊島圭介 主演・設楽統)になり、テレビドラマ(2009年 『傍聴マニア09〜裁判長!ここは懲役4年でどうすか〜』日本テレビ系列 主演・向井理)になり、舞台(『裁判長! ここは懲役4年でどうすか The Stage』2012年)にもなって、一人で歩いてくれたからね。映画にカメオ出演したり、楽しい経験ができたのは良かった」
「あとはまあ、お金だよね。毎週大きなお金が銀行に振り込まれるから、これは金銭感覚おかしくなっちゃうかもなんて思ったけど、幸いカミさんがしっかり管理してくれたんで、アンタに持たせると何しでかすか分かんないって(笑)。それとね、『本の町プロジェクト』ってのは、関わった他の人は分からないけど、僕個人としたら大失敗プロジェクトなんだ。〈高遠ブックフェスティバル〉ってのを2回やって、毎回2,000人以上って言ってたかな、すごい人が集まってくれて、成功したし僕自身やたら感動はしたけど、でも『本の町』としては定着しなかった」

「そこで2011年いっぱいでその『高遠 本の家』も閉めて、『本の町プロジェクト』も一旦終わりにした。色んな問題があった。例えば僕らの中に『田舎を盛り上げてあげよう』みたいな驕りもあったと思う。僕個人としては、かなりお金を注ぎ込んじゃったところもある。税理士さんに『少し道楽が過ぎるんじゃないですか』なんて怒られたしさ(笑)。でも、印税というあぶく銭があったから、あそこまではやれたとも言える。それと、レポの立ち上げにも使えたしね」
『季刊レポ』を創刊する際、取次を介さず書店と直接取引を行う出版社「ミシマ社」のウェブサイトのインタビューに答え、北尾トロはその動機をこう語っている。
<出版社の人が「本が売れない」って愚痴るのはまだいいとしても、最近はフリーの人たちまでが嘆いている。嘆いても愚痴っても何も始まらないのに>
<もうひとつは、雑誌が売れなくなって、実用性重視の情報誌ばかりになって、僕が好きな、僕が今まで書いてきたような「くだらない」「世の中の役に立たない」文章を載せる媒体が減った>
<そういう「くだらない」記事が載らないのが、実は雑誌が面白くなくなって、結果、売れなくなった原因だという気もする。だったらそういう「くだらない」読み物ばっかりが集まる場所(雑誌)を、自分で作ればいいと思った>と。

トロさんは語る。
「結局、話が最初に戻ってしまうけど、親父が若くして死んだということがやっぱりあってね、何か『やりたいな』と思ったら、『今やらなきゃ』と考えちゃう。自分だっていつ死ぬか分からないじゃない? 『季刊レポ』も基本はそうだった。ただ、僕なりの助走はあってね。ネット古書店をやり、コミケに参加したり自費出版で本を出したり(『シークレットオブドラァグクイーン』2000年 杉並北尾堂)という活動があって、ブックカフェをやって『本の町プロジェクト』をやると、出版に関することで残っているのは雑誌だけじゃんって思った。だけどこれをやり始めたら大変だぞと。まあ、大変だからそれまでやらなかったわけだけど」
「さっき言ったように『本の町プロジェクト』は上手くいかなくて、貯金はどんどん減っていって、雑誌をやるには、まず立ち上げのお金はかかる。今やらないといよいよお金がなくなっちゃって、雑誌やるタイミングがとうとう来ないかもしれない──そういう自分の中の流れがあって、世の中的にも雑誌が売れないとかライターが食えないとか、若い人が書く場がないというのがあって、それらがパッとくっついたときに、『じゃあ、自分が作るしかないか』と決めた。当時は『これからは電子書籍の時代だ!』って散々言われてて、僕は紙の雑誌がやりたかったから、今動き始めず、来年、再来年に先送りすると、ひょっとしたらすごい時代遅れになるかもしれない。だったら今しかないって、すぐにヒラカツ(平野勝敏『季刊レポ』副編集長)に電話して、『頼む、副編やってくれ!』って。そうやって自分で逃げ場をなくしたような感じだよね」
そうか、さっき北尾トロを「理想を追求する人」と書いたけれど違っていた。「理想」よりも、「面白そう」とか「やらなきゃ後悔するぞ」という好奇心の方が勝ってしまう人なのだ。

種を蒔く人。「世の中の役に立たない」ノンフィクション雑誌『季刊レポ』始まる

こうして『季刊レポ』は2010年に創刊される。創刊号から川内有緒の「国連で働いてみました!」や和田靜香「チーム・マダム〜最強コンビニ伝説〜」が掲載され、創刊第2号には後に書籍化される杉江松恋の「ある日うっかりPTA」(『ある日うっかりPTA』2017年 KADOKAWA)の連載も始まる。7号では「特集 ”山田うどん まずい”をブッ飛ばせ!」が掲載され、「山田うどんブーム」が秘かに再燃した。
「これはネット古書店をやってた頃から思い始めたんだけどね」と北尾トロは自己分析する。
「自分が文章を書いたり何か別の活動をしたりして一番嬉しいのは、フォロワーが生まれるということなんだな。僕の本を読んで傍聴に行くようになりました、とかさ。裁判所へしょっちゅう行ってると分かるんだよね。声をかけられたりするし、明らかに来てる人たちが変わったんだ。それは決して僕だけの影響ではなく、世の中が変わったんだけど、でも、その小さなきっかけにはなったかもしれない。傍聴だけで本を書くというのは僕が初めてだったから、少しは関係があるだろうと思ってる。それは嬉しいんだよね」
「ネット古書店も本当に増えた。実際会いに来る人もいたし、相談もたくさん受けたし。それで会社を辞めてネット古書店を始めて、成功してる人もいる。だけど僕の方はもちろんすべて上手くいったわけじゃない。『本の町プロジェクト』は失敗したし、その後日本のどこかに本の町が生まれたというのも聞かない。ただ、ブックカフェが全国にたくさん増えたり、本の読めるホテルなんてのもできてるでしょう? だからほんのわずかかもしれないけど、何らかの影響を与えられたかもしれないしね」

「そういう意味では、僕は種を蒔くのが好きなんだと思う」とトロさんは言う。
「それは大抵の場合すごくニッチな市場なんだけど、『おっ』と思うものを見つけて、それは傍聴だったり本の町だったり、インディーズ雑誌だったりするわけだけど、土を耕して、種を蒔いて、芽が出るくらいが一番楽しいんだな。自分に向いてると思うし。芽が出れば、もっと水やりが上手い人とか、まめに雑草を取る人とかはいるだろうから。そういう人たちに任せた方がいいしね」
「そう考えていくと」と僕は言った。「やっぱり『馬なりの人生』(伊藤秀樹・名義 日本能率協会マネジメントセンター 1992年)に戻ってしまうよね。あれが原点なんだね」と。
本当にやりたいことに向かって、ほんの少しの勇気を出してやってみる。それが本物の面白さなのだという。
しかも先に引用した「ミシマ社」のインタビューでは、北尾トロはこんなことも言っているのだ。
<例えば今、若いライターが出版社に企画を出して運良く通ったとする。でも、「取材費ください」って言ってもくれるかどうか分からないでしょう。この本を書くために北海道にいる誰々さんに会いたい。でもお金がないから電話で済ますというのは、ぼくはイヤなんです。だったら自分が取材費くらい出せる雑誌を作ろうと>。
まさに、出版のあてのないまま取材対象者にお願いの手紙を書き実際に会いに行った、若き日の伊藤秀樹青年の姿である。

「そうだね。そうかもしれないね」と、いつも飄々と語るトロさんは、このインタビュー中初めて感慨深く呟いた。
「あのときあの本を書いていなかったら、ライターを辞めてたかもしれないよね。辞めてなかったとしても、全然違った書き手になってたと思う。最初に『この業界、チョロいな』って、どこかで舐めて、修業もせずに文章書いてお金もらってというところから入ってるでしょ? 若い頃の僕はそうやって世の中舐めくさって、一生懸命頑張ってというのが嫌いだったんだよ。カッコワリィな、なんてさ。それがあそこで初めて一生懸命やってみて、自分なりにいい本になったと思ったけど、ところがまったく評価されなくてさ。そういう悔しい思いがあったから、これじゃ終われないだろうって。そういう意味では、あれが分岐点だったかもしれないね」
「僕らはさ、時代が良かったじゃない? だから昼間稼いだ原稿料で、夜中にあてのない原稿が書けた。ギャラが良かったから、自腹で取材に行くのも別に苦じゃなかったんだな。でも、今の若い人は無理だよね。要するに、一生懸命頑張ろうにもスタート地点にすら立てないわけだよ」
一生懸命頑張らないと、見えて来ないものがある。こう書くとすごく優等生的だけど、先に述べたように北尾トロにはそれだけに留まらない、もっと興味本位で時に下世話で、野次馬根性に溢れたところがある。それは『裁判長!』シリーズに見られる傍聴姿勢を読めば明らかなはずだ。決して一筋縄ではいかない。「不真面目な真面目さ」とでも言おうか。

肩書きは何でもいい。それは読む人が決めてくれるだろうから

例えば2014年の『猟師になりたい!』(信濃毎日新聞社、後に角川文庫)では、その動機がこう語られる。松本に移住後、知り合いの長野県在住の編集者から、「長野県に暮らしているのだから、この地でしかできない取材をしませんか? 猟師へのインタビューを」と持ちかけられる。聞けば日本の山々の多くは荒れ、長野でも鹿やイノシシの被害が甚大らしい。さらに猟師の数は年々減り続け、猟友会も維持できないほど。しかし移住ホヤホヤの男が突然取材にいっても、トンチンカンなことしか聞けずかえって失礼に当たるだろう。だからやんわりと断った。
ところが一旦断ったものの、なぜか「猟師」という言葉が耳から離れない。一方、北尾トロとしての仕事の場は、依然として東京にある。東京で取材をして西荻の仕事場で原稿を書き、週末だけ松本へ戻る。これでは何のために移住したのか分からない。地域に溶け込める仕事がしたい。そう思ったときに閃いた。そうか、自分が猟師になればいいのだ。実際に体験すれば、今実際にどういう害獣被害があるのか、それに対して何をすれば良いのかが分かるじゃないか? 体験型ライター・北尾トロならではの興味であり方法論である。
「狩猟に関して言えばさ、もちろん僕の力なんてわずかなものなんだけど、僕が翻訳家のように猟師さんと一般の読者の間に入って、へっぽこな猟の話なんかを書いたりしてるうちに、ちょっとずつ情報が広まったのか、狩猟者が今後増えそうな感じになったきたんだよね。ジビエ料理(狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を素材とする料理)の店なんかも増えてきたし。だからフォロワーがある程度できてきたのかもしれない。これはやっぱり嬉しいんだよね」
その意味では、僕も北尾トロのフォロワーになりたいと思った。なぜならこの連載は北尾トロと知り合い、わずかな期間だったが『季刊レポ』に関わることができたことから生まれたものだからだ。
『季刊レポ』はライターたちによる、ライターのための雑誌だった。最新号が刷り上がると西荻窪にある北尾トロの仕事場で、執筆者が集まり発送作業をした。トロさんにヒラカツ副編集長、編集の木村カナちゃんやえのきどいちろうさん、下関マグロさんや和田靜香さんたちとそれぞれが持ち寄ったお菓子を食べお茶を飲み、ワイワイとあまり世の中の役には立たない雑談をしながらできたばかりのレポを袋詰めし、購読者の住所シールを貼った。
あの楽しさは一体何だったんだろうと考えると、それは自分以外のライターたちと会える嬉しさだったのだと気づいた。だから文章を書く人たちに、腰を落ち着けて話を聞きたいと思ったのだ。

最後に「トロさんは自分の肩書きってどうしてるの? ライターとかフリーライターとか、ノンフィクション・ライターとか色々あるけれど」と聞いてみた。
「僕はね、何でもいいんだな」とトロさんは答える。
「だから名刺にも肩書きは入れてないしね。というのは、北尾トロの本なら何でも読みたい、全部読んでるっていう人は意外に少ないみたいなんだよね。『裁判長!』シリーズを読んでる人は僕のことを傍聴マニアだと思ってる。『キミは他人に鼻毛が〜』なんかが好きな人は体験型ライターだと思ってるだろうし、狩猟に興味のある人は『猟師になりたい! 』のシリーズを読むだろうし」
「小説(フィクション)は書かないから、ノンフィクション・ライターなんだろうな。短いコラムなんかはあんまり書かないからコラムニストではないし、ましてやジャーナリストじゃない。たまにノンフィクション作家って書かれることがあるけど、あれはちょっと恥ずかしいよね。東良さんも同世代だから分かると思うけど、僕ら、作家っていうと偉い先生みたいなイメージがあるじゃない? だから困るな。オレ、そんなに偉くねーよって(笑)」
そして「でもこの連載は文章を書く人にインタビューしていくわけでしょう? だったら〈ライター〉にすると、ライターばっかりになっちゃう可能性があるもんね」と付け加え、「だから〈ノンフィクション・ライター〉にしといてもらうのが良いんじゃないかな」と気遣ってくれた。


写真=川上 尚見
取材・文=東良 美季

#CULTURE

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