かつおちゃん回遊記vol.03〜「かつおの神様」は田子にいる!〜(前編)

かつお節を愛し、かつお節に生きる「かつお食堂」店主“かつおちゃん”こと永松真依さんが、日本各地を回遊しながらかつおとかつお節の魅力を再発見する連載。
第3回は静岡県西伊豆へ。かつお節の歴史からこの地域に伝わる伝統的な技法、作り手さんの思いに触れてかつお節の魅力を感じてください。

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「かつおの神様」は存在する。

私はそう思っています。

宝くじやビンゴ、些細な賭け事でも当たりを引いたなんてことは、今まで一度もない。お願いをしても一度もカミサマの存在を信じるほどの幸運を得たことはない私だけど、かつおやかつお節のことに関してアクションを起こす時は別。

かつお節との新たな出会いを求めて鹿児島県へ行く時、ちょうど先月のこと、台風でほとんどの便が欠航する中、私の便だけフライト。つい先日、かつお節のことを考えすぎて「かつおスランプ」に陥った時、誰に連絡するわけでもないのに、必ず誰かが手を差し伸べてくれました。そんな時にはいつも思うんです。

「『かつおの神様』のおかげだ」

その幸運は振り返ると、私がかつお節を好きになった6年前から始まりました。


かつお節を好きになり、生産者さんの元を訪ねたいと思った私は、苦手なパソコンを手に取りました。かつお節の右も左もわからない中、とりあえず「かつお節 昔ながら」と検索するとトップに表示されたのが「カネサ鰹節商店」さん。

連絡をしてみると訪問を快諾してくれ、早々に足を運んでみると、見ず知らずの私に多くのことを教えてくれました。かつお節がどのようにして作られるのか、それぞれの作業の意味、かつおとかつお節の歴史、本当にたくさんのことを教わったおかげで、ますますかつお節に魅せられるようになりました。

今回は田子で教わったかつお節の魅力をお伝えしようと思います。

田子ってどんなところ?

ここは静岡県伊豆半島の西伊豆という地区。東京からは車で3〜4時間のところに位置するこのあたりは、特徴的な地形の場所です。

海岸線は深い入り江の連続。そのため潮流が湾内にまで入り込み、かつおやイワシなど豊富な魚を湾内にまで運んでくれる、天然の良港として盛んな地でした。

田子港はそんな西伊豆で唯一の港。

昭和時代には40隻のかつお船があり、街には40軒のかつお節製造店に賑わったそうです。


「カンカンカーン」鐘の音とともに帰ってくるかつお船。この鐘の音は朝から晩まで鳴り、溢れんばかりの数のかつおが、かつお節製造場所へと運ばれていました。

かつおの神様は本当にいるのか?

田子はかつお節の名産地としても名高く、この地域のかつお節は「伊豆節」、その中でも田子で作られたものは「田子節」と呼ばれています。

しかし、現在のかつお船は0隻、かつお節製造店は4軒にまで減っています。

オイルショックや200海里問題などによる、かつお船の衰退、船の老朽化、漁法の変化、船の大型化など、ここ数十年で起きた様々な事象が絡み合い、かつて40隻あったかつお船は徐々に姿を消し、同時にかつお節製造者も少なくなっていきました。鐘の音が響くことはありませんが、かつお文化はともに生きてきた人々の熱い魂によって今も受け継がれています。

そのひとつが前述のカネサ鰹節商店さん。カネサさんは明治15年創業の歴史あるかつお節製造店で、現在は5代目の芹沢安久さんが営んでいます。

この芹沢安久さんこそが、私にかつお節についての多くを教えてくれた方。私の恩人です。伝統の技法を守り良質なかつお節を作り続けるだけではなく、かつお節の魅力を広めるために様々な活動を積極的に行う芹沢さん。かつお節愛が本当に深くて、ひょっとして「かつおの神様」は芹沢さんなのでは? と私は思っています。

そんな私の中の「かつおの神様」の芹沢さんが作る日本三大鰹節のひとつ「伊豆節」から見る風景を感じていただきましょう。

かつおと日本人の歴史は長い

「私たち日本人とかつおの結びつきはとても長い」と芹沢さんもおっしゃるように、かつおの歴史は長く、その間に様々な変化を遂げていきました。

始まりは縄文時代。なんと、日本人はこの頃からかつおを食べていたんです。その証拠に青森県の貝塚でその骨が発見されています。よくよく考えるとそんなに古い骨が残っていること自体がなんだか不思議な感覚ですよね……。

かつおの加工品が初めて文献に登場するのは飛鳥時代。かつおを素干しした「堅魚」、かつおを煮て干したもの「煮堅魚」、煮堅魚の煮汁を煮詰めた「堅魚煎汁」、この3つのかつおの加工品が奈良の都・平城京に税として収められていました。

伊豆からも献納されていて、今日まで続くかつお加工品の原型、そして潮かつお(しおかつお)の原型となったとされています。(潮かつおについては後ほど)

さらに、かつお節に関しては室町時代にまとめられた料理集に「花鰹の使用」として登場するんですね。

日本三大かつお節

江戸時代には船舶技術や漁法の向上により、より多くのかつおが捕れるように。同時に加工技術も進歩する中で、今の和歌山県の印南町出身の勘太郎という男が「燻乾法」という燻製で魚の水分をとり除く方法を考案します。

その手法が高知県の土佐に渡り、広がり、「土佐節」が誕生しました。

ここでかつお節はひとつおもしろい進化をします。和歌山から高知までの道のりは長い。長時間かけて運ばれる中で、カビが生えてしまう……。そこで当時の職人たちはそのことを逆手にとり、カビを利用してかつお節を改良します。これが高い評価を得て、今でも残る製法として確立されていきます。

湿度と温度を丁寧に管理しながらカビ付けが行われる

土佐藩はこのカビ付けを秘法として門外不出を命じますが、土佐与一という男がこの秘法を伊豆方面へも伝え、それをきっかけに別の人物が薩摩にも伝えることとなりました。

という長い道のりを経て、「土佐節」「薩摩節」「伊豆節」が日本三大かつお節として定着したのです。

これらはすべて芹沢さんから教わったもの。6年前、まるでその時代にタイムスリップしたかのように芹沢さんのかつお節のストーリーに釘付けになったことを今も覚えています。歴史を感じるとかつお節がより魅力的に感じてきませんか?


あぁ、かつお節の話になるとつい長くなってしまう……。芹沢さんが作る田子節の魅力、潮かつおについては後編でじっくり語っていきたいと思います!

それまでみなさん、花かつおな日々をお送りください!

(後編へ続く)
かつおちゃん回遊記vol.03〜「かつおの神様」は田子にいる!〜(後編)


【店舗情報】
かつお食堂
住所:渋谷区渋谷1-6-4The Neat青山1F (bar&...miiiii内)
営業:平日9時~、土日祝10時~
   ※なくなり次第終了
   ※営業日はInstagramで告知
Instagram

bar&...miiiii
住所:渋谷区渋谷1-6-4The Neat青山1F
営業:17時~深夜、不定休
Instagram


写真・文=永松 真依

#FOOD

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