編集治療の責任は誰が負うべきなのか? 科学者とSF作家が語る“ゲノム”真論(後編)

 ヒトゲノムの研究に関して、これまでアメリカが大きくリードしていたが、中国が激しく追い上げているように見える昨今。ゲノム編集の技術は世界で発展し続けており、生命観、宗教観、倫理観、宇宙観など人類の様々な価値観は今後、大きな変革期を迎えることが予測される。では、我々はどこへ向かうのかーー。前編に引き続き、SF小説『Gene Mapper -full build-』(早川書房)で知られる作家・藤井太洋氏と、東京工業大学で最先端のゲノム研究にあたる相澤康則氏が、後者の研究室にて語り合った。

中国・深セン市が巨額を研究に投資する理由とは? 科学者とSF作家が語る“ゲノム”真論(前編)

患者のためにパーソナライズされたブタ

相澤康則(以下、相澤) 前編で話した2つの国際ゲノム合成プロジェクト「Genome Project-write」と「Sc2.0」によって、どんなゲノム配列にすれば、細胞に期待する仕事をさせられるのかを指し示す「ゲノム配列の文法書」みたいなルールブックが解き明かされれば、バイオものづくりは劇的に変わるでしょうね。いろいろなモノやコトがゲノム工学を通して創られる未来が近づいています。

藤井太洋(以下、藤井) おそらく人間も変わりますよね。それによって体のどこかを一回でも治療し始めてしまったら、治したい場所がどんどん増えてくると思う。

左:相澤 康則(あいざわ やすのり)
1970年、横浜生まれ。東京工業大学生命理工学院准教授。ヒトゲノムの中で機能がまだ不明の非コード領域を研究する。ゲノムを人工的に合成することで、ゲノムに刻まれたDNA配列の意味を解き明かすことを目指す国際プロジェクト「Genome Project-write」や、ビール酵母の全ゲノム合成を推し進める国際プロジェクト「Sc2.0」に参加。
右:藤井 太洋(ふじい たいよう)
1971年、奄美大島生まれ。2012年、ソフトウェア会社に勤務する傍ら執筆した個人出版の電子書籍『Gene Mapper』でデビュー。2015年、『オービタル・クラウド』(早川書房)で第35回日本SF大賞を受賞した。


相澤 ブタの免疫系遺伝子をヒト化させて、そのブタの臓器を人に移植する話、ご存じですか? ハーバード大学教授のジョージ・チャーチとルーハン・ヤンが2015年に共同設立したベンチャー企業・イージェネシスがそれを実験していて、2017年には約43億円もの多額の資金を調達しています。移植を待っている間に亡くなってしまう患者さんがアメリカではすごく多いのですが、この研究が進めば、パーソナライズされたブタが多くの患者さんを救うんじゃないかと……。

藤井 パーソナライズされたブタとは、“この患者に移植するためのブタ”ということですか?

相澤 はい。同じヒト同士でも、他人の臓器を移植したら拒絶が起きる。であれば、“私のブタ”をつくればいいという発想です。ジョージたちは人工子宮も作ろうとしていて、ブタのお母さんのお腹に戻さなくても、臓器を工場でつくれる日は遠くないと思うんです。ブタは経済動物ですし、臓器のサイズもヒトと近い。脳以外はすべて交換可能になるかもしれない……。

藤井 必要になれば、きっとやってしまうでしょうね。出産前検査も、その結果によって胎児のうちに治す方法ができたらどうするか、という問題があります。例えば、もし21トリソミー(ダウン症候群)を出生前に治す方法があったら……。

相澤 お金があって、技術的にも可能となったときに、それを実行するかしないかーー。厳しい選択肢ですね。倫理的に問題がありそうにも感じるけれど、例えば自分の子どもの命が危ないとなれば、話は別ですし。「歩きながら音楽が聴きたいからウォークマンを開発した」ということと何が違うのか、という話にもなりますからね。人間の欲求を満たす科学技術という意味からすれば、これまで何度も繰り返されてきたことではある。

藤井 さらにゲノム編集は、出生前だけでなく生きている大人に対しても行うことができるので、がんの治療に使える可能性もありますよね。

相澤 それは十分あります。再生する能力を持つ体性幹細胞を使ったゲノム編集治療の研究も進められていて、余命がわずかとなった時にその治療法が有効だとわかれば、それを望む患者も出てくるでしょう。ただ、高額だと、その治療を受けられる人と受けられない人ではっきり分かれてしまう。

藤井 だから、治療費は徹底的に安くしなければいけないと思います。仮に遺伝子治療ができるようになったら、それまで治療されてこなかった人たちが苦痛なく命をまっとうできるように、製薬会社や治療方法を得た会社が負担していく必要があるのではないかと思っています。世界で苦しんでいる患者さんがすべていなくなってから利益を出せ、と。ヒトのゲノムを使って商売をするのだし、入ってくる利益が大きいのだから、企業への負担も大きくするわけです。いわばノブレス・オブリージュ(身分の高い者はそれに応じて果たさなければならない社会責任と義務があるという道徳観)を治療法そのものに対して課す考えがあってもいい。そうすれば、「髪を金髪にしたい」「青い目にしたい」「筋肉を増強したい」といったどうでもいい要求は、なかなか通らなくなる。

相澤 その視点はなかったなぁ。ほかにも藤井さんのように考える作家さんはいるのでしょうか?

藤井 いないと思いますよ。過激なアイデアなので(笑)。安くするためには産業化が必要。そうでなければ、安全性も高まりません。科学者が実験している間は、とんでもない事故が起こりますからね。

相澤 その意味では、ゲノム編集に関わる人たちはみんな『Gene Mapper』を読むべき。僕はこの小説を読んで、科学者の責任を改めて痛感しました。これからゲノム研究に関わる人や教えている学生たちにも読ませたいですね。

『Gene Mapper -full build-』
藤井太洋著/ハヤカワ文庫JA
拡張現実が社会に浸透し、フルスクラッチで遺伝子設計された蒸留作物が食卓に上がるようになった近未来。ある日、遺伝子デザイナー・林田は、L&B社のエージェント・黒川から自分が設計した稲が遺伝子崩壊した可能性があると連絡を受け、原因を究明することに。やがてハッカーのキタムラの協力を得た林田は、黒川と稲の謎を追うべくベトナム・ホーチミンを目指す。もともとは電子書籍の個人出版だったが、こちらは増補改稿完全版。

生命科学者とソフトウェア・エンジニアとの戦い

藤井 『Gene Mapper』を執筆しているときに私はコンピュータ・ソフトを開発する会社に勤めていたのですが、ソフトは基本的にコードを変えれば、変えたようにちゃんと動きます。その上、ソフトとハードは分かれていて、遺伝子のように連関していません。すなわち、ソフトからハードは改編できないんです。そうであれば、仮にソフトが完璧でなくても情報は公開してしまい、そこから修正していった方がいい。ハードが壊れることはないですからね。その点は、明らかに生命科学とは相入れない考え方です。遺伝子環境はループしているので、何か変更を加えると、めぐりめぐってゲノムに襲いかかってくる可能性が十分にある。ただ、今後はソフトを書く人のようなアイデアが強くなってくると思っています。積極的にベンチャーに投資をしている人たちは、ソフトで成功していますよね。そのうち、遺伝子にも関心を示すと思う。実際、ビル・ゲイツの支援下でマラリア蚊の遺伝子組み換え研究が行われています。こういう発想が、より支配的になってくる予感がしているんです。

相澤 生物では、ハードと思われるものも実はソフトだったりしますよね。

藤井 生物というのは、どこをいじっても必ず全体に影響が出てくるシステムなんです。だから生命科学者は、今後はきっとソフトウェア・エンジニアのアイデアと戦わなくてはいけなくなる。

相澤氏の細胞培養器に見入る藤井氏。

相澤 免疫細胞を取り出し、それを遺伝子組み換えして体内に戻すことで、細胞自体に「がん細胞を攻撃せよ」といったミッションを与える、CAR-Tという治療法もあります。その場合は、一部分を変えるだけで体全体の行ってほしいところだけに対して司令がいく。いわば細胞にプログラムする、完全にソフトウェアですよ。今までは、がんの原因を遺伝子レベルで説明しようとする研究が主流でしたが、もっと高次のレベルでの原因が見えてくるかもしれない。

藤井 それはあり得るでしょうね。

相澤 一方、クリスパー(前編参照)がゲノム治療に適用されたり、ゲノム合成が人体に応用されたりするのはもう少し先のように思うのですが……。

藤井 でも、2040年頃にはできそうな気がします。特に乳がん治療においては始めやすいのではないでしょうか。乳がんの8割は原因となる遺伝子が分かっているので、その遺伝子が発現しないようにするエピジェネティクス(DNA配列の変化を伴わず、後天的な修飾により遺伝子発現が制御され、維持される仕組み)治療としてスタートするのかもしれません。エピジェネティクス治療の場合、ゲノムを書き換えるわけではないので、倫理的な抵抗が低いですしね。これがひとつ可能になったら、ほかの治療にもどんどん応用されていくでしょう。そして5~6年ほどで、オーダーメード薬のような形が出てくる可能性はありますね。

相澤氏が藤井氏に実験器具の使用方法をレクチャー。

染色体を人工的に連結して現れたゲノムの新たな謎

相澤 ほかに、僕が『Gene Mapper』の中で気になったのは、実際に「できる」とわかったら、次々にその先を追求せざるを得ないという科学者の気持ちが描かれているシーン。これは、藤井さんが思っていることでもありますか?

藤井 はい、それは思っています。「できる」と知ってしまったら、科学の利用は止まらないですよ。

相澤 少し話がそれてしまうかもしれませんが、ここで触れておきたいのは、できるかどうか分からないものを探している科学者と、できると分かった上で手がける科学者の違い。iPS細胞とSTAP細胞の話が典型的です。STAP細胞が発表されたとき、みんなが「すごい、すごい!」と言っていましたけど、仮にあれが正しかったとしても、iPS細胞を作製した山中伸弥先生の功績と比較することすら失礼だと思って見ていました。山中先生がすでに体細胞を初期化できることを示したんですから、あとの人たちはある程度安心して別の方法を探せます。出口があるかどうかわからないトンネルを歩いた山中先生の勇気、信念を尊敬します。

藤井 科学は一歩目を見せることができる、ということですね。

相澤 そうだと思うのですが、今の大学が置かれている立場としては、短期間で社会の役に立つような研究をしなければいけない、というような風潮があり……。

藤井 染色体を一本にしたところで、「なんの役に立つの?」と(編注:先頃、「Nature」誌にて、酵母細胞がもともと持つ16本の染色体を人工的に1本に連結してしまっても、酵母細胞は生育するということを明らかにした研究が発表された)。

相澤 本当にそうなのです。産業的には役には立たないかもしれません。しかし、「16本を1本に連結できる」という事実は、染色体というゲノム構造単位の存在意義を揺るがす大発見。新しい謎が生まれたわけなのです。長い進化の時間が形作ったゲノムという存在を、これまでの科学はただ観察するしかなかったのですが、人工的に変えることで、新しいクエスチョンに出会うことができた。このように、クエスチョンを生み出し、それを解き明かしていくという「0から1への研究」を通して教育することが、大学という高等教育機関の本来の役割だと思うのです。

 ただ、最近はいろいろな言い訳のもと、すでに“できるもの”の同類を増やしていく研究が多くなっているような気がします。そういう意味でも、SF作家のみなさんの感性が、今はできないコトができる世界や、今は存在しないモノがある世界を見せてくださると私は確信しています。

藤井 その言葉は、私も作家として刺激になります。

相澤 このような異なる感性を持つ人々が、まやかしの知識に惑わされずに科学技術の両面を見続けていることが、人類の幸せにつながると信じています。


構成=安楽 由紀子
写真=山本 光恵
企画・編集=中矢 俊一郎

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