【連載:死の経済学】第1回 21世紀の“超成長マーケット”!? 多様化を続ける「エンディング産業」の現在地


Giuseppe Vallardi ‘Trionfo e Danza della Morte’(1859)-public domain
王侯貴族であろうと死には抗えず、また死は万民のすぐそばにあることを示すイタリアの絵画。

誰もが知り、誰もが知らない体験

「死」とは何か?

 調べるまでもないことではあるが、辞書には「生物の生命活動が終止すること(出典:大辞林 第三版)」と書かれている。すなわち、朝起きて食事をし、会社や学校に行っては1日を過ごし、夜眠り、出会い、恋をし、貯蓄し、旅行し、観劇し、排泄し、育児し、悲嘆し、歓喜し——といった、生命の営みの全てが「終止すること」に他ならない。
 
 この世に誕生したすべての人を待つ唯一平等な運命ではあるが、同時に「経験者」は一人として生存していない。そのため、誰もが「死」を知っていながら、実は誰ひとり「死」を知らない。
 
 それゆえに、人は古来から様々な方法で「死」と向き合い、多くの文化を生み出してきた。ある文明では高貴な者が死ぬと死後も永遠に豪奢に“生きられる”ようにと遺骸に宝石や高価な衣服を着せて埋葬したし、ある宗教では神罰によって人間は死ぬようになったと説いた。またある社会では、死が近い人に昆虫や鳥獣の名前をつけ、本人の死後、家族はそれを神聖視するという習俗が現代も続いている。

 生物学的にはただの「終わり」でも、本人や残されるものにとっては一大事だ。死ぬ本人に関しては誰もが人生に悔いなしと笑って大往生できればいいが、人によってはやっぱり悔いや悲しみ、苦痛や恐怖などを味わいながら死ぬこともある。さらに大変なのが遺族で、悲しみをこらえながらも高度に複雑化した現代社会において必要な相続、各種届出、葬送に法事など、粛々とこなしていくべき煩雑な手順が山ほどある。

『葬祭儀草』小杉榲邨著、明治初期 – 国立国会図書館デジタルコレクション
華族から庶民に至るまで、身分の別ごとに死後の処置から葬礼、催事までなすべきことがこと細かに記されている手引書。

時代とともに変化する葬祭業界

 そのため、近代においては、残された側のそうした雑事を代行する産業として葬祭業が成立しはじめた。もちろんそれまでにも寺社や教会などといった場所において聖職者が葬送を担うことはあったが、ビジネスとしての葬祭業が生まれたのは、日本では江戸時代以降とされる。現在見られる「葬儀屋さん」のほとんどは昭和期の創業で、高度経済成長期に爆発的にその数を増やしてきた。

 日本における葬儀は長らく自宅での看取りや葬送というスタイルが一般的だったが、1990年代以降、社会構造の変化とともに斎場での葬儀が主流となっていく。それとともに、自前で斎場を持てない中小の葬祭業者は徐々に圧迫されていき、資金力や不動産のある大手がさらに収益をあげていく——というのが、葬祭業界の大まかな構図である。
 
 とはいえ、立派な斎場さえあれば安泰かといえばそうでもなく、生活習慣や価値観の多様化が進む一方の現代、「斎場」というハコだけではなく、ソフトやサービスをどう充実させるかという問題も重要だ。斎場を持つものも、持たないものも、各葬祭業者は、それぞれに多様なニーズへの対応を迫られる。そして、そこにこそ「持たざるもの」の逆転の目もある。

 経済産業省の特定サービス産業動態統計調査によると、2013年の実態で、冠婚葬祭業の全国事業所数は 10109事業所、従業者数16万8303人、年間売上高2兆7959 億円。うち葬祭のみを見ると、年間売上高は2兆1584億円と大部分を占める。1998年には94万人だった年間死亡者数は、2040年ごろには166万人とピークを迎えると予想され、その市場規模がさらに増していくのは確実だろう。葬祭業、およびその周辺の業界においては、これからの時代こそ、生き残りをかけたイノベーション期なのだ。

日本の将来死亡者数予測グラフ。国立社会保障・人口問題研究所の調査による。

「死の見本市」があった

 東京モーターショーからコミックマーケット(コミケ)まで、様々なフィールドの見本市が集う東京ビッグサイト(東京都江東区)。ここで毎年、お盆を過ぎた頃に開催される見本市がある。

「エンディング産業展」と銘打たれたそれは、葬祭関連業界の様々な事業者が一堂に会する展示会だ。公式に「フューネラルビジネス・エンディング・終活・葬儀・埋葬・仏壇・供養・終末関連のための専門展示会」と名乗るだけあって、仏壇・仏具、墓石、骨壷といったスタンダードな物品から終活セミナー、相続問題などの相談会、さらには現役僧侶が指南するお寺選びなど、「終末」に関わるさまざまなブースが並ぶ。3日間の開催で、2017年は延べ25867名もの人が訪れた。

「エンディング産業展」エントランス。暮石などの見本市「ジャパンストーンショー」と同時開催。

 そして、ここで特筆に値するのが、そこで目にするサービスの裾野の「あまりの広さ」だ。六本木あたりを走るパーティーリムジンと見紛うようなLEDバキバキの霊柩車、遺灰をジュエリーにするサービス、広大な霊園の中で自家の墓所をすぐに見つけるためのナビゲーションアプリ、見た目はもちろん所作や姿勢などを競う美坊主コンテストに供養女子コンテスト、なぜかトランスが大音量で流れるカスタム骨壷コーナー、遺灰を宇宙に撒くという触れ込みの宇宙葬……。“喪の多様化”などという通り一遍の言葉で表現する以前に、見ているだけでなんだか楽しくなってしまう多彩なサービスの数々。展示を見て回る間、どれだけのブースで「おもしろいですね!」「でしょ!」という、聞きようによっては最高に不謹慎なやりとりを出展者と交わしたことだろうか。

遺灰を風船に乗せて宇宙へ飛ばす「バルーン宇宙葬」。

純国産のハイエンド自動車でおなじみ「ミツオカ」の霊柩車。

本願寺の僧侶たちがよろず相談ごとに答える「本願寺カフェ」。

「エンディング産業展」を主宰する展示会事務局の担当者は、この展示会を開催した経緯についてこう語る。

「これまでに2015年の12月、16年8月、そして17年8月と3回開催しています。それまで、国内においては、仏具や石材、葬儀社などの葬送産業の総合的な展示会というものは存在していませんでした。しかし、現在の社会状況を踏まえると、葬送産業は確実にこれからニーズを増してくる。そこで、業界の垣根を取り払い、また終活を考え始めた一般の方=“終活者”の方々もお越しいただけるような展示会をと考え、企画をスタートしたのです」

 初回開催より出展社数・来場者数・展示規模いずれも、徐々にではあるが増加傾向で推移しているそうだ。

「最近では、春と秋のお彼岸に雑誌やテレビなどのメディアで終活が取り上げられることが多くなってきました。読者や視聴者の高齢化とともに関心が高まってきたことをうかがわせます。
 出展者の方々にも、同じフィールド内における異業種交流の意義がわかっていただけつつあるようで、ここから生まれた業務提携や新規ビジネスもありますね」

透過ディスプレイを用い、故人からのメッセージが次々に表示される遺品ボックス。

孤独死の現場などの特殊清掃会社の展示は……なぜか現場のミニチュア。

世界初という、遺灰をアコヤ貝に抱かせて作る「遺灰パール」。

 展示会としてのこれからの課題は、一般の“終活者”のニーズをより掘り起こすことにあるという。

「出展者のバリエーションの増加を見ていると、生花よりも費用を抑えられる造花やプリザーブドフラワー、仏具や祭壇にしても大型のものよりできるだけコンパクトで家具にもマッチし、家の中に安置できるようなものが目立ちます。葬儀自体もご近所を呼び集めてのものから、家族葬や葬儀を経ずに荼毘に付す直葬の形式が増えており、社会状況や家族構成の変化に応じて、葬儀・供養自体のコンパクト化が進んでいるというのはひとつの傾向ですね。
 そういった状況を踏まえて個々の好みや個性を反映しての細分化にも対応しつつ、人生を仕舞うにあたっての諸手続に関するセミナーなども拡充し、より多くの“終活者”の方の助けになれるような展開を作っていければと思います」

棺桶のデザインも今や多種多様に。

宗派を超えたお寺さんが集結し、終活者の悩みに答えてくれるサービス「まいてら」のブースにて。

「最近、違法な海洋散骨業者が出てきている」現状を憂いて設立された「海洋散骨検定」を紹介する協会。

死を語らうという「生きるための行為」

 一時的に右肩上がりの経済が続いた我々の社会において、いつしか「死」は経済成長、そしてそれが意味する「明るい未来」の対極(というか、終局)にあるものとしてタブー化され、巧妙に社会やメディアの空間から排除されてきた。現在、巨大な斎場がそびえ立つ地方の国道沿い以外に、我々の社会において「死」もひとつの経済的な営みであることに想いをいたすことのできる空間は皆無だ。
 
 だが、これからの時代において、その態度はもはや有効とは言えない。人口の絶対数的にも、マインド的にももはや「右肩下がり」になるしかないこの社会で誰もが向き合っていくはずの「死」——それをいかに冷静に、軽やかに、そして豊穣に、受け入れることができるか。「死=衰退、滅び」というイメージの圧力をいかに逃れながら、己の「死」をデザインしうるか。そうした前向きな問題設定の先に、死ぬこと、そして生きることを置こうという態度こそが必要なのではないか。

こちらは風船ではなく「ロケット宇宙葬」を事業として行う、その名も「銀河ステージ」という会社。

広大な墓地の中でも自家の墓所の場所が一目でわかるアプリ「お墓マイル」。

自動車の塗装業者とコラボして作ったという、バリバリなデザイン骨壷たち。ブースにはトランスが鳴り響く。

「エンディング産業展」で目にするような事業者たちは、まさにそんな時代の最前線にいる。一見ふざけているように見えるサービスもあるし、実際に訪れて見ると会場に漂うあっけらかんとしたムードに拍子抜けする人もいるかもしれない。だが、ここは確かに、私たちの「生」のための、切実な戦場なのだ。


 次回からしばらくの間、こうした「死」にまつわる諸産業の現在地について、当事者の取材や考察などを連載の形で掲載していきたいと思う。それを通して、我々にとっての「死」とは何か、そして「生きる」とはどういうことか、考えていければ幸いである。


文/写真(特記外):安東嵩史

#CULTURE

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