挫折も葛藤も100%プラスになる。逆さ文字「アンビグラム」が変える世界の眺め方(後編)

野村氏がHBのシャープペンで描いた細密画の自画像

異なる方向から見ても言葉が成立するグラフィカルな作品「アンビグラム」が話題を集めている。作者の野村一晟氏は、1980年代の米国発祥のアートを日本語で表現する気鋭のアーティストだ。

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「言語遊戯」としてのアンビグラムの魅力

言葉は情報伝達の手段である。その機能と切り離して、言葉自体を楽しむ試みは洋の東西を問わず存在する。日本でいえば、「たけやぶやけた」など文字を逆の順番に読んで同じになる「回文」。「まつ」に「松」と「待つ」の意味を持たせる「掛け言葉」。文章の段落の1文字目を順に読むと、ある言葉になる「折句(おりく)」。新聞のラテ欄などで話題になる「縦読み」も折句の一種といえるだろう。楽曲の歌詞などの末尾の母音をそろえて「韻を踏む」テクニックもある。

文学にも踏み込んでみる。「リポグラム」(文字落とし)という技法がある。ジョルジュ・ペレックの小説『La Disparition』では、フランス語で最も頻繁に登場する母音「e」を一切使用せずに300ページ超の物語が紡がれる。その日本語翻訳版『煙滅』では、翻訳者が「い」段の文字抜きという制約を課して、原作の狙いを表現してみせた。これらの「言語遊戯」を通して、言葉自体に内包された無限の可能性を感じ取れる。

そして、逆さ文字「アンビグラム」である。これまで日本でほとんど語られることがなかった領域。作品と向き合う中で、野村氏はどんな魅力を見出しているのだろうか。

アンビグラムには、デザインとしての合理性があるんですよ。有名ブランドのロゴに採用されていて、シャネルだと「C」が重なったロゴ、グッチは「G」と「C」がかみ合わさった感じですね。上下があるロゴの場合、例えば財布をパッと取り出した時に逆さだと、見た人は「これ何のブランド?」って考えてしまう。どこから見てもそのブランドをアピールできた方がいい。だから、向きを気にせずそのブランドを伝えられるアンビグラムはデザインとして合理性があるんですよ。ただ対象系で美しいだけではなく、便利なんです。

視覚・知覚を巧みに利用。逆さにして言葉が読めるカラクリ

比較的シンプルなアルファベットのロゴに比べて、日本語のアンビグラムづくりは一筋縄ではいかない。多彩な作品群が生み出される背景に、どんなカラクリがあるのだろうか。

アンビグラムの作り方には流れがあります。まず、両方の文字を見比べて、一致する部分は太くして強調していきます。片方の文字にしかない部分は目立たせないようにして、全体に強弱をつける。その後で、線の角度や幅を微調整しています。濁点に関しては右上にあった場合は必ず目に入るけれど、下の方にあると装飾として認識されるので見逃されます。

他にも人間の認知を利用したトリックがあります。例えば人名。苗字の部分が読めたら、「もしかすると自分の名前かな?」と頭をよぎります。そうすると、ちょっと崩れた文字だったとしても何となく読めてしまうんですよ。あとは、人間は文字を読む際に、最初の文字と最後の文字を認識できると、中間の文字を予測して補います。その性質も利用しています。


独自に研究し、つかんだ法則。人間の視覚・知覚を最大限に生かしているのだという。そして、学生時代、趣味で学んだ漢字の知識。薬剤師を目指した勉強もアンビグラム制作に役立てている。

ひっくり返って別の言葉になるのは、ちょっと語彙力が必要になってきます。高校時代に一生懸命勉強したのが役立っているなという気がします。昔から漢字が好きで、大学の時に漢字検定準1級を取りました。でも、取ったのはいいけれどしばらくは全然役に立たなくて。でも、今こうやって言葉を扱っていると対義語とか四字熟語とか、語彙力に関しては漢検の知識が生かされています。あとは数学。点対称の図形だとか、角度の計算だとか、形を扱うのは数学なので理数系の勉強がここで生きています。

中学校の美術の教科書に載った「才能と努力」

薬剤師を目指して挫折。大学では周囲の才能に圧倒されて自信をなくしかけた。苦しみ悩んだ経験から完成させた「才能と努力」。自身の半生と重なる作品は今、中学校の美術の教科書に採用されている。2つの意味が込められたこの作品にも、アンビグラムの魅力が詰まっているという。

物事には必ず対になっている意味だとか、隠された意味があると思うんです。人の名前に関しても、こういった子に育ってほしいと名づけられていることもありますし。頑張っているのに、なかなか結果が出ない時期は、結局は才能がある人にかなわないんじゃないかと思ったこともあります。でも、やっぱり「努力」すれば「才能」を超えられるかもしれないわけですよ。アンビグラムは、作品にそういうメッセージを込めることができます。「台湾、加油」で言えば、「台湾」には元々「加油」の精神が込められているのだから、精神的にも建物も倒れてしまったけれど、「加油」の精神で立ち直ってほしいという願いを込めています。

「森友(もりとも)」と「籠池(かごいけ)」

「政務活動費(せいむかつどうひ)」と「議員の小遣い(ぎいんのこづかい)」

「豊田議員(とよたぎいん)」と「違うだろう(ちがうだろう)」
世の中に目を向ければ、政治家の不祥事や、パワハラ疑惑など暗いニュースがあふれている。そんな問題にも、アンビグラムならではの視点で切り込んでいく。

社会や政治について考えてみても、1つの文や単語に2つの意味が込められます。「森友(もりとも)」問題で裏で動いているのは誰なのか。ひっくり返したら「籠池(かごいけ)」とか。社会問題でみんながこれだ!と思っているものの裏には何があるのか気付かせるきっかけになると思うんです。「政務活動費(せいむかつどうひ)」はひっくり返したら「議員の小遣い(ぎいんのこづかい)」。ちょっと前に話題になった「豊田議員(とよたぎいん)」。ひっくり返したら「違うだろう(ちがうだろう)」になったり。

社会が目を背けていることに対して、視点を変えてしっかりと目を向けさせる。それがアンビグラムが秘めた可能性なのかもしれない。

芸術ってアンビグラムのみならず、アーティストが自分のコンプレックスを解消したり、社会に眠っている問題を浮き彫りにしたり、みんなが目を逸らしているところに突っ込みを入れて「世の中こういうことが起こっているんだ。こういうところが不満なんだ、だからみんなも見てほしい」と発信するためにあると思うんですよ。

巷ではこういうことがブームだから、こういう色を採り入れて、こういう可愛い子が紹介すれば、みんなが見てくれる……。そういうのはただの商品なんですよ。芸術ではない。「世の中こうあってほしい」「俺はこう思っているんだ」「俺はこういう人間になりたいんだ」という思いを作品に込めるからこそ人々は作品を見て「確かにこういう見方があるな」「僕もこういう悩みを持っていたな」と感じる。そういう気付きを与えるのが芸術だと思うんですね。だから、アンビグラムに関してもただひっくり返して面白いだけでなく、自分はこういう思いで問題に向き合っているんだと伝えたいんです。

直接言えない。日本人気質をアンビグラムが代弁

「行けたら行きます」。「前向きに考えます」。日本人は、回りくどいコミュニケーションを多用する傾向にある。そんな気質にもアンビグラムは適している。ひっくり返せば本当に伝えたいメッセージが読み取れるのだから。

日本人って、直接ものを言えない気質がありますよね。「行けたら行きます」は行かないってことだし。「前向きに考えます」は考えないわけだし。ズバッと言えないけど、裏にはこういう意味が込められているというのを、アンビグラムでうまく表現できると思うんです。アンビグラムを通して物事をいろいろな向きから見ることの大切さにみんな気づいてくれたらって思います。

私は占い師とかスピリチュアル講師ではないけれど、世の中のトラブルや悩みって一方向からしか見ないからそこに囚われたり、悩んだり、悲しんだりすると思うんです。だから、実際に僕が4月に仕事を失って「憧れた教職の世界もこんなものなのか。簡単に切り捨てられる社会なんだ」と、ずっと悩んでいたら立ち直れなかったかもしれない。「いや、これは自分自身が発信するチャンスなんだ」。そう捉えることができたから作品を生み出せたし、そう思えたから幸運にも巡り会えたんです。


大切なのは、作品を回転させるだけでなく、自らの思考も回転させる柔軟性を持つこと。アンビグラムがそれを教えてくれる。

とにかく物事をいろいろな向きから見たら、見えなかった問題が見えるかもしれない。ずっと悩んでいたことに対して新たな道が見つかるかもしれない。「あの人のあの言葉ひどいな」と思っていても、見方を変えたら「愛情の裏返しだったんだ」。あるいは、「この人、いい話を持ち込んでくるけど金銭面で考えると、向こうのメリットが大きい。裏があるな」と発見になるし。一方向から見ていたら騙されるし、悩んでしまうんですね。それに作品の面白さにも気づけないと思うんですよね。彫刻の作品も正面から見たら美少女の彫刻も、裏から見たら実は悪魔の顔になっているかもしれない。きれいな作品だなと思ったら裏は凄く手を抜いているかもしれない。

オリジナリティのある生き方が誰にでもできるとは限らない。「独創と模倣」は表裏一体。それでも、続けること、打ち込むことでたどり着く場所は唯一無二のものだ。

僕みたいにこうやって好きなことを続けていたらいつか認められるかもしれないし、たとえ貧乏な生活が続いたとしても、自分が好きだと思えることを続けられたら、それはもう充実した人生になるのは間違いないというのを感じてもらいたいんです。一番多いのが安定した仕事につかないと、お金を稼がないと、生活できないから夢を諦めないと。そういう考えに囚われて社会に縛られて悩む人がいますけど、人生一度ですから、好きなことをとことん極めていたらそれだけで充実した人生ですよね。誰も否定できないですよ。

好きなことをやっていたら類は友を呼ぶということで、友達も増えるかもしれないし。その好きで究めた技術だとか知識が生かされる場面がおのずとやってくるかもしれない。『マツコの知らない世界』がそうですよね。

「とにかく自分の好きなことに純粋に従っていく」

この番組に出てくるゲストが輝く理由。それは「のめりこんでいる」姿勢が視聴者の共感を得られるからではないか。どんなにニッチなことだとしても、本気で楽しむことができる人生に興味を惹かれる。

「なんでこんなマイナーなことやってるんだ」っていう人ばかり紹介されていますけれど、最初は「変わった人が現れたな」と思っていても10分後には「こんな面白い世界あるんだ」ってなりますよね。それって、自分が興味のない世界であっても、その人がその世界にのめりこんでいて幸せそうにしているから、「あ、いいなこの人の人生」って思えるから自然とスッと体に入ってくるようになると思うんです。鉛筆の世界だとか、お菓子の世界だとか語っている人――何かにのめりこんでいる人の生き方を見て、「キラキラしているな」「素敵だな」と思って、「趣味でやっている音楽をもう少し続けてみよう」とか「有名になれなくてもいいからイラストを続けてみようかな」とか、そういう気持ちになればいい人生につながると思うんですよ。

僕も、日本でアンビグラムをやっている人が少なくても、好きだから続けてこられた。運よくこうやって注目を浴びるようになったわけだから、別に周りに合わせなくても自分が好きだと思えるもので突き進めばいいとみんなが思ってくれたら嬉しいです。


少年時代は、周囲がつくったレールに乗りかけていた。だが、アンビグラムに出会って、自分自身を表現できると気付いた。夢中になった。挫折や葛藤さえ100%プラスの力に変わった。人生が変わった。作品に込めた思いは、かつての教え子たちに確実に伝わっていた。

この前、大学4年のときに教育実習で教えた中3の生徒が成人を迎えたんですね。成人式に呼んでくれまして、みんなが僕の活動をテレビなどで見てくれていました。ある女の子が「野村先生が好きなことをやって認められていくのを見て、私も頑張れる」と言ってくれたんですね。その子はよさこいを頑張っている子で。その言葉を聞いて、「あ、やっぱりやっていて良かったな」って思ったんですね。安定した収入のためって思って自分のやりたいことを我慢して教員やっていたら、こういった影響を生徒たちに与えることができなかっただろうなと思うし。好きなことを純粋に楽しむことで周りの人の心を動かせるんだっていうことに気づけたんですよね。

だから、何が作品づくりの活力になるか、どういったアンテナを張っているかと聞かれたら、とにかく自分が好きなことに純粋に従っていく。基本それだけだと思うんですよね。創作していて感じますが、日本語って美しいですよね。それをアンビグラムで伝えられたら、より日本人として誇りを持てると思うんですよね。


(前編)
言葉も常識も180度ひっくり返る。逆さ文字「アンビグラム」が変える世界の眺め方(前編)

野村 一晟(のむら いっせい)
1990年、富山県富山市生まれ。富山大学芸術文化学部卒。画家アンビグラム作家として活躍。代表作は「陰と陽」、「挑戦と勝利」、「才能と努力」など。HBのシャープペンで描く細密画も得意としている。
オフィシャルサイト
ノムライッセイ: イッセイの村


写真提供=野村 一晟
取材・文=江村 聡信

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